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子供への要求が高すぎる親の問題の心理

野球選手を目指して猛特訓せよ。
生徒会長になり目立ちなさい。
常に成績はトップでありなさい。
等々。

これらは、全て、親の子供に対する要求であり、期待です。

親が子供に何らかの期待をするのは当然の心理なのですが、その要求、期待が高すぎるということは、それが子供の自由や心を縛り、さらに、子供が親の要求に応えられない、期待を満たせない時に、子供に暴言を吐く等のことがあると、子供の心に様々な問題が生じるでしょう。

では、なぜ、親は子供に対してそこまでの過剰な要求や期待を課し、子供に様々な問題が生じるまで追い込むのでしょうか。

親の心理をみていきたいと思います。

なぜ親は子供に高い期待を課すのかその心理と問題

  1. 親自身が子供時頑張った経験がある
  2. 親と子供は別人格の人間であることを理解していない
  3. 親の自己中心性 子供の立場に立って考えられない
  4. 他の子供と比較しての焦り
  5. 親が優越感を得るため

1.親自身が子供時頑張った経験がある

親が子供時、例えば学校の成績が優秀であり、活発な子供であると、自分の子供にも、同じような子供であって欲しいと思う傾向があるようです。

それは、自分の子供であり、当然、自分と同じように振る舞える、行動出来る、勉強が出来ると、親子同一視の結果、このように思うのでしょう。

しかし、自分の子供であるから、自分と同じように振る舞えるという科学的根拠はあるのでしょうか?

ただ、自分の子供だからという理由だけで・・・。

人の性格、能力の形成と発揮には、遺伝と環境の2つが大きく影響しあっています。

したがって、自分の子供だから、自分と同じように出来る、優秀であるという思いは、根拠希薄であると考えます。

A)遺伝の観点

遺伝の観点から考えると、子供には必ず、2人の親がいます。

母親と父親。

母親が子供時学業等優秀、勉強が出来るという実績、遺伝子を持っていたとしても、果たして、父親の遺伝子はどうでしょうか?

また、遺伝には隔世遺伝もあります。

したがって、自分の子供だから、自分と同じ遺伝子を100%持っており、自分の子供時と同じように、振る舞えるはずであるという根拠はないのです

B)家庭環境の観点

さて、子供が能力を形成、発揮させる為には、家庭の環境が大きく影響します。

仮に子供に勉強が出来る潜在的能力があったとしても、家庭環境の影響により、その、潜在能力の発揮を抑えてしまうこともあります。

例えば、本ページの親のように、子供に対する要求、期待が高い親の場合、子供が自分の子供時と同じように振る舞えない、成績が良くない、目立たない等の現実を見ると、子供に怒りをぶつけたり、さらに厳しいしつけをされるかもしれません。

しかし、この親の行動の結果、子供は委縮してしまい、自分の潜在的な能力の発揮が出来ない可能性が高くなります。

そして、委縮より不活発な子供になりかねません(行動、脳機能含む)。

したがって、子供がその能力を発揮させるためには、家庭環境が重要なのです。

可能であれば、のびのびと心休まる環境があり、そして、勉強等に集中出来る環境が、良いのではないでしょうか。

2.親と子供の別人格の人間であることを理解していない

さて、そもそも、親には親の遺伝レベル、環境、人生があり、子供時等を含め育ってきました。

親には親、独自の能力があります。

そして、この独自の能力は、皆その能力は違いますが、誰でもが、何らかの能力を持っているものです。

能力と人格は違いますが、皆、能力も人格も違いつつ、この社会を生きています。

こう考えると、自分の子供であれ、能力、人格、性格には違いがあるのです。

子供と親は別人格です。

別の能力を保有しています。

性格も違うでしょう。

したがって、親には出来たことが子供に出来なくても問題はないのです。

それが、一般的なのではないでしょうか。

逆に、子供が出来ることが親には出来ないこともあるでしょう。

子供と親、親と子供は別人格であり、同一視は出来ないのです。

3.親の自己中心性 子供の立場に立って考えられない

親によっては、なぜ、「この子はこれ程度のことが出来ないのだろう」と悩み、落ち込み、子供の発奮させる為、子供を叱り続けるかもしれません。

しかし、自分の子供が、これ程度しか出来ない、これぐらい出来て当たり前等の基準は何でしょうか。

親の勝手な基準ではないでしょうか。

そして、その基準を満たしていないから怒る。

自分の子供時代を振り返ってください。

あなたに、どれだけのことが出来たでしょうか?

この年齢の子供は、これ程度が出来て当たり前。

親の自己中心的な考えであり、子供の立場に立って考えられていますか?

4.他の子供と比較しての焦り

比較。

他の子供が出来て、自分の子供は出来ない。

このことに、自分の子を落伍者、ダメな子等、勝手なレッテルを貼っていませんか?

人は皆、様々な個性、能力を持っています。

ある子には出来ても、ある子には出来ないことも多々あります。

しかし、そもそも、比較とは前提条件が同じ場合に有効であり、前提条件の個性、能力が違う子供達と自分の子供を比較しても意味はないのではないでしょうか。

どうせ比較するなら。

自分の子供の長所、良い点を探し、他の子と比較した方が、その子供の成長、自信の獲得には有効であると思います。

自分の子供と他の子供の比較に、さほど意味があるとは思えません。

それは、子供の個性、能力が、子供によって、全て違うからなのです。

比較出来ないのです。

5.親が優越感を得るため

親が自己に対して、何らかの劣等感を抱いている際、自分の子供の学業、成績等を通して、その劣等感を払拭しようと試みることもあるでしょう。

しかし、子供は親の優越感を満たすために存在しているのではありません。

このような考え方は、子供を私物化しており、言語同断です。

親が自身の劣等感で悩んでいるのであれば、それは自分の問題。

子供を通して解決しようとするのではなく、自分自身の抱えている問題と強く認識して、自分の人生を通して解決すべき問題なのです。

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