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『皆』という強い言葉の力と無意味さと恐ろしさ

皆、皆、皆。
皆、そうなのです。
皆、同じなのです。

この、皆という言葉、何やら強いインパクトを受けますね。

全体性・同調性に基づく「皆」という言葉の恐ろしさ

1.皆という言葉の全体性同調性の強さと個の前における無意味さ
2.集団において出来ない人間を叱責する言葉として
3.皆という言葉の恐ろしさ・集団からの排除

1.皆という言葉の全体性同調性の強さと個の前における無意味さ

さて、皆という言葉。
通常は、人が人を説得する時に用いられることが多いように思います。

「皆、一緒です」。
「皆で頑張ろう」。

この、「皆」という言葉を使われ、説得されると、何か、反論出来ない気持ちになってしまいます。
それだけ、皆という言葉には、私たちの個を封印する、大きな力が宿っているのです。

全体性、同調性の圧力さえ感じます。

でも、よくよく、考えてください。

その、皆って誰のことですか?
非常に定義が曖昧な言葉であります。

皆の範囲、範疇が意味不明なことも多々あるでしょう。

例えば、「我々、日本人は皆、生活に困窮しています」。
と主張があったとしましょう。

本当にそうですか?

日本人でも、生活には全く困窮していない人もいます。

このように、「皆」という言葉は、誰かを説得、誰かに訴えかける際、強い言葉の力を発揮するのですが。

しかし、

「皆って誰のことを指しているのですか?」
「具体的に述べてください」。

この、質問の前に対して、皆という言葉は力を失い、腰砕けになるのです。

このように、「皆」という言葉には

個別性が無視されているのです。

そして、全体性、同調性が強調されているのです。

さて、私たちは、個々人の主義に基づき生活をしています。

そこに、「皆」という言葉を使い、個人の事情を無視した、全体性、同調性に基づき訴えられることは、自分の個を無視したと感じる方の、反感をかうこともあるでしょう。

「皆」という言葉。

強い力を持つ言葉ですが、対局に位置する、「個」に対しては、無意味な言葉になるかもしれません。

「皆」VS「個」。

皆という言葉。
言葉の持つ力が強いだけに、注意して使った方が良いかもしれません。

2.集団において出来ない人間を叱責する言葉として

企業、組織において、業務成績、成果の芳しくない職員に対しても叱責の意味を込めて使われる、皆という言葉。

「皆、出来ているのに、なぜ、君は出来ないのか」。
「皆と比べて、成績が良くない」。
「皆のように頑張れ」。

ここにおける、皆という言葉の使い方は、平均値を皆(全体性)と仮定して、平均値を下回る、職員、社員を、叱咤激励するために使われています。

しかし、ここにも、個の無視を感じます。

会社、組織においては、売り上げ、開発、競争がしのぎを削り、少しでも、業績を上げたいのは本音です。

そこに、皆と比べ、業績が平均値を下回る社員がいると(全体性以下)、足を引っ張る者としてのレッテルを貼られ、「皆と同じように業務成績を上げるよう」、注意を受けるのです。

しかし、人には個性があります。

もし、その職員、社員が、今就いている、業務内容と合わなかったとしたら、これは、その職員、社員の能力発揮、個性の発揮を無視していることにつながるでしょう。

利を優先する、企業、組織においては、雇用されている職員が活き活きと働けるよう、個々人の個性と能力を活かせる場に異動させる方が、最終的には、企業、組織の全体の利益アップにつながるのではないでしょうか。

皆という言葉を多用して、それを根拠としても、個人的能力、個性を無視して、職員を責める行為から得られるものは少ないのではないでしょうか?

適材適所が、働く者のウェルビーイング貢献するのではないでしょうか?

「皆と比べて劣っている」という比較は、個人の個性、能力が考慮されておらず、個人にとってさほど意味はないものとなってしまうのです。

どれだけ頑張っても、自分の個と合わないものは、出来ないことが多々あるのです。

3.皆という言葉の恐ろしさ、集団・全体からの排除

国における、多数民族、少数民族の問題は、太古から存在します。

ここにおいて、多数民族は「皆」であり

少数民族は、「それ以外」となってしまうのです。

その国が豊かで、平和であれば、多数民族、少数民族の問題は生じないでしょう。

そして、多数民族、少数民族を合せて、全体性が保たれると考えます。

しかし、国が貧しく、多くの国民が生活に困窮、疲弊していると

多数民族は、少数民族に対して、肌の色が違う、目の色が違う、原語の違い等、様々な違いを見出し

「皆と違う者がいる、排除せよ」と、敵意と憎しみを向けるのです。

この時点において、少数民族は全体から排除されたのです。

心理的には、希望が持てない塞いだ心のストレス発散が、少数民族の向いたとも考えられます。

そして、この問題は、動物である人間の、生存本能とも関わっています。

すなわち、少数民族を排除することによって、「皆は生き残る」

数の理論です。

多数派の皆と違うから、少数派は追い出せ。

皆と違う者は追い出せ。

全体から排除せよ。

今でも、どこかの国で行われている事実です。

また、この場合、皆という言葉は、「ヘイト」にも使われることがあり、注意して使わなければなりません。

「皆」:言葉のまとめ

皆という言葉。

この言葉は全体性、同調性を現わす言葉です。

そして、「皆」と違う、

「全体」と違うということは、

「異分子」であり

異分子は「排除」の傾向、リスクがあるということを、歴史的観点からも、忘れてはならないでしょう。

実は異分子の排除は、学校や社会でのいじめの温床になっているのです。

何気なく使っている言葉、「皆」。

実は、奥深い、恐ろしさを抱えた言葉なのです

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