知性・コミュニケーションにて劣等感の強い人の論理性の高さと優越感

劣等感の強い人。
劣等感の強い人と聞いて、どのような人を想い描きますか?
劣等感。
自分が劣っている感じを持っている人。
でも、人は何かにつけ、他者と比較をして劣っている感じを抱くものです。
すなわち、多くの人は、何らかの劣等感を抱いているものなのです。

しかし、強すぎる劣等感は、その人自身の価値を自分自身で低めてしまいます。
そして、劣等感に基づき自分自身で低めた価値に対して、心理的に均衡をとるため、論理性を高める方法をとられる方もおられます。
この時、「論破」を重要視されて、自己の論を熱く語られるのです。
論破と劣等感の解消と優越感
1.他者を論破しても劣等感の解決にはならない
2.他者を論理により論破しても好かれることはない
3.劣等感の解消のために真に必要なこと

1.他者を論破しても劣等感の解決にはならない
人は様々なことに劣等感を抱きます。
私にも劣等感はあると思います。
さて、劣等感に対して、論破することで自己の優位性を確保される方は、どのような劣等感をお持ちなのでしょうか?
おそらく、知性、コミュニケーション、教育等において、自分は人より劣っていると深く思われている方、または、幼い時から人にバカにされ続け、心に深いダメージをお持ちの方等が思い浮かびます。
すなわち、知性、コミュニケーション、教育等において劣等感を抱く心理の場合、その、知性、コミュニケーション、教育に関することで、自己の劣等感の払拭と優位性、自己承認を求められるのです。
そして、他者を論破するには、それだけ論理性の高い思考力と、幅広い見識も必要となってくるでしょう。
学校での伝統的な教育が合わず成績が悪く、そのことで劣等感を抱えているとすれば、自己の革新的、強い論理により、学校教育の無意味さを証明すべく、高い論理性を発揮されるかもしれません。

また、そもそも言語において強い劣等感を抱えている方は、後学にに基づき自己の知性、コミュニケーションの鋭さを証明する為、高い論理性を獲得、発揮されるかもしれません。
自身が抱いた劣等感の源を、新機軸に基づく論理により他者を圧倒するのです。
そして、打ち負かす。
論破。
これにより、自分自身の、知性、コミュニケーション力能力を発揮、自己優位性を証明、高い優越感を感じ、劣等感の払拭を図るのです。
これが、心の安定へとつながるのです。

2.他者を論理により論破しても好かれることはない
劣等感を抱く人が、その劣等感から解放される為には、何が重要な要因となるでしょうか?
他者を論破しても、恨まれたり、憎まれたり、嫌われたりと、本人は自己の優位性、頭脳の切れ味を証明したと思って快感もあるでしょうが、他者から好かれることはありません。
「あいつは頭はいいかもしれないが、心がない」。
等、論理性の高さは認められつつも、人として、その人間性は認めてもらえないのです。
当然です。
「論破」とは、人を貶める行為にもつながります。
決して、好かれること、敬意を持って接してもらえることはないでしょう。
劣等感の強い人が論破において、自己の優位性、心のバランスを得たとしても、社会生活においては、人から好かれること、人間性を認めてもらうこと、愛されることはないのです。

3.劣等感の解消のために真に必要なこと
劣等感。
心の傷。
自己価値の低さから、自分自身を認められない。
したがって、他者に論理性の高さで勝負、自分を認めさせようとする。
しかし、それでは、他者から好かれることはありません。
論理性が高いことは素晴らしいことだと思います。
しかし、他者を侮辱するツールとして使ってはいけません。
自己満足以外得るものがないのです。
真に劣等感からの解放の為に大切なことは、良好な人間関係を築くこと、そして、人間性、人柄を認められること、愛されていることを実感することではないでしょうか?
鋭い頭脳の回転力を、建設的な形で発揮することです。
さして、他者に認められたいと望むのであれば、自分自身が他者を認めることは重要です。
これにより、win-winの関係性が築け、自分は他者から大切にされていると実感出来、幼い時から抱えていた劣等感は解消へと向かうのではないでしょうか?

心理カウンセラーである私は、劣等感からの解放をこのように感じます。
これは、劣等感、全てに言えることではないかと思います。
人は誰かと何かを比較、比較された結果、劣等感を抱くものです。
また、自分自身で勝手に他者との比較を行い、その結果、劣等感を抱く場合もあるでしょう。
でも、日々、心温まる人達に囲まれ生活していれば、「皆一緒だな」「皆悩んでいるんだな」等、劣等感の悩みは自分だけの固有の問題ではないことを認識、安心感も得て、自己の抱く劣等感は不要な感覚となると思います。
心の傷とは不思議なもので、人間関係を通じて癒されることが多々あるのです。