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期待と怒りと支配『期待という名を借りた支配』

人は人に期待をするものなのでしょうか。
おそらく、期待をするものなのだと思います。

そして、期待した相手が、自分の期待を満たさない、沿わないと怒る。

なぜ、人は人に期待して、期待した相手が、自分の期待を満たせない、沿わないと怒るのでしょうか。

そこには、人の期待に対する支配をみることが出来ます。

期待という名の支配について

Index
1.期待する人の心理
2.期待される側の選択権
3.期待と支配と怒りの関係性

1.期待する人の心理

まず、人が人に期待する、3つの心理的動機について書きます。

a)相手に対して、こうなって欲しいという思い

人が人に期待をする時、純粋に相手にこうなって欲しいという、期待があるでしょう。

それが、相手のことを思っている。
思いやりのような感覚から生じた、期待の場合もあります。

相手のことを思って、期待することは、期待する側の自由です。
何を思うのか、何を期待するのか、自由です。

そして、期待とは、将来に向けた目標設定であり、行動における結果を出すことを望むことです。

でも、相手のことを思っての期待であっても、本当に期待された側は、期待された人の期待を、目標、結果として望んでいるのでしょうか。

自分に期待をした人の期待を実現することを望んでいるのでしょうか?

期待とは、期待する者、期待される者の二者関係であります。
したがって、双方が、その「期待」における、合意を形成しない限り、期待する人の「期待」だけが、1人歩きしてしまいます。

相手に期待すること。
それが、思いやりに満ちた期待としても、期待する相手の気持ち、希望を汲んだうえでの期待でしょうか?

相手が望まないこと期待することは、期待をかけた相手を支配することにつながりかねません。

b)自分のエゴ、欲を満たして欲しい勝手な期待

お金を貸して欲しい。
恋人になって欲しい等。

自分の望みから、相手に期待する場合もあるでしょう。

でも、期待された相手には、期待をした側の期待を満たす義務はありません。

期待した側のエゴ、欲に基づく、勝手な期待に関しては、期待された側には、その期待は迷惑になる時もあり、期待に沿う必要はないでしょう。

でも、自分のエゴ、欲が強ければ、強いほど、期待感は高まります。
そして、相手に期待を受け入れることを断られると、失望、怒りがわいてくるのです。

その、失望と怒りは、相手を自分の都合よく動かしたいという、支配性ではないでしょうか?

しかし、理不尽な支配に基づく欲求、期待に応じる人は、少ないでしょう。

c)組織における役割を果たす期待

人は何らかの組織に属することが多々あります。

そして、組織には、組織の目標があり、その、目標を果たすために、組織の構成員には、様々な役割があり、その役割を果たすことを、組織は構成員各々に期待するでしょう。

例えば、会社において、会社の目標のもと、上司が部下に期待をする。

この時、上司は個人的感情として、部下に目をかけ、思いやりもあり、可愛がっているのかもしれません。

しかし、部下には、部下の能力もあり、上司の期待を満たすことは出来ないと判断するかもしれません。

また、部下には、自分の将来の目標像があり、上司の期待は、自分の目標と全く違う道なのものかもしれません。

このような時、部下は上司の期待に沿うことを断り、会社退職を決意するかもしれません。

上司は、目をかけ、可愛がっているつもりの部下に裏切られたと、失望して怒るかもしれません。

しかし、ここにも、上司の期待を満たすべきという支配を感じます。

会社組織ですから、会社の目標を、役割として果たすべきと言う考えは、筋は通るのですが、その役割期待を受け入れるか、受け入れないかの判断は、期待をされた個々人によるところです。

組織に属しているからといって、必ず組織の目標、役割期待に沿う必要はないのです。

退職、脱会すれば、すべて終了です。

2.期待される側の選択権

期待する人がいかなる心理、思いであっても、
期待された側には、3つの選択権があります。

期待を「受け入れる」、「拒否する」、「保留する」。
この、3つです。

期待した側は、相手が期待を満たせば、満足するでしょうが。

相手が期待を拒否、保留(考える時間の要求)を発すると、失望や怒りを感じることが多々あるのではないでしょうか。

それは

「期待外れ」。
「期待及び自分に対する裏切り」
「期待に沿わない勝手な奴」。
等々。

しかし、期待するのは、期待をする側の勝手なのです。

それが、相手に対する思いやりから出ようが、エゴ、欲を満たすためであろうが、組織の役割期待であろうが。

全ては、勝手な期待なのです。
期待には、相手の都合も考えない、勝手な期待が多々あります。

したがって、期待された側は、期待を拒否、保留しても、まったく構わないのです。

もし、期待をした人が、相手に「拒否」や「保留」を選択されたからといって怒ったとしたら、期待を満たしてくれない失望、そして、それに伴う怒りがあるのでしょう。

そして、さらには、期待に沿って欲しい、期待を満たして欲しいという、無意識ではあるかもしれませんが、支配があるのではないでしょうか?

しかし、いかに期待をしても、相手には、期待を受け入れるか否かの選択権があります。

期待をした人が、相手から期待を拒否されたからといって、怒るとしたら、相手の人権、選択権を考慮しない、支配性が現れているのではないでしょうか。

3.期待と支配と怒りの関係性

上述のまとめです。

期待。

期待するのは、期待する人の自由、勝手です。
でも、その期待を受け入れるか、否かは、期待された側の選択権であり、自由です。

誰でも、期待した相手には、期待を満たして欲しいと思うでしょう。

そして、相手が期待を拒否した場合は、期待を満たして欲しいという思いは満たされず、失望を感じ、怒りへと転換されるのです。

期待を満たさないから怒るということは、実のところ、相手の選択権、人権を軽んじた、支配ではないでしょうか。

期待するのは自由です。
でも、その期待には支配性が混じっていませんか?

期待と支配。

そして、支配の欲求が満たされないから、失望して怒る。

期待とは勝手な傾向の心理なのです。

期待を手放した方が楽になる時もあります。
でも、相手に期待しないことは、人間関係が希薄であると感じられるのであれば、期待したことに対して、相手が拒否した時、相手の権利を尊重することです。

期待を手放すことが、腑に落ちないのであれば、期待感を弱めると書いてもいでしょう。

いずれにせよ、期待という名を借りた、支配には注意が必要です。

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