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自分が嫌いな人は他者との関係を悪化させ嫌われるか孤独へすすむ

自分が嫌いな人。
自分のことが好きでない人。
自己嫌悪の人。

これらの人の心理と行動はどのようなものでしょうか?

実は私自身、自分の若い頃を振り返ると自分が嫌いであったと思います。
そのために、自分を守る方法、自己防衛として、心理的ひきこもりを選びました。
(集団の中にいても、ムスッとして人を寄せ付けない)。

さて、私の経験も含めて、自分が嫌いな人(自己嫌悪)の心理と行動を、主に人間関係に焦点を当て書かせて頂きます。

目次

なぜ、自分が嫌いなのか・自分を嫌悪するのか(自己嫌悪)その心理的背景

おそらく、自分の存在が否定された経験(幼児期、成育歴)が、長期に渡ってあるのだと思います。

この世に、自分を嫌悪して生まれてくる人はいません。

成育歴等より、何を経験して、何を体験したのかが、自分を嫌いになる心理においては大きな要因でしょう。

では、自分が否定された、自分の存在が否定された経験、体験とは、一体どのようなものでしょうか?

親子関係、学校でのいじめ、夫婦関係や職場等におけるハラスメント行為(パワハラ、モラハラ、セクハラ等)においては、自分の人格、人間性が否定されたような感覚(自己価値の低下)が生じ、その為、自分はダメと思い込み、そのような自分を嫌いになることがあります。

周囲からの否定的な行為により、自分には価値がないと思い込みが生じ、自己価値が低下するのです。

また、自己価値の低下と同時に、ダメな自分は愛される価値がない等の思いも生じ、それが、自己愛の欠如にもつながります。

また、自己価値の低下、自己愛の欠如は、自分の心が傷つくことに敏感となります。
それは、今まで散々、心が傷つく体験をしてきたからです。
もうこれ以上、心が傷つきたくないという思いは、強い、自己防衛心として現れます。
この強い自己防衛心は、人を寄せ付けない雰囲気を醸し出し、かつ、人を敵視することもあります。

さて、自分が嫌い、自己嫌悪の心理の問題の根源は、自己価値の低下、自己否定の感覚、自己愛の欠如、そして、心が傷つくことへの不安と、それに比例する自己防衛心です。

では、次に自分が嫌いな人、自己嫌悪の方の、心理と行動について人間関係を主として書きます。

自分が嫌いな人の心理(人間関係を主として)

1.心理的にひきこもる・話さない

自分が嫌いな人の心理において、もうこれ以上、自分を傷つけないで欲しいという心理(心理防衛)が働いている時があります。

心理的にひきこもるとは、集団の中にいても誰とも話さず、ムスッとした態度を取り、他者を寄せつけないようにしています。

これは、誰かが、自分に近寄ってきて、自分を傷つける行為から、自分を守っているのです。

自分の嫌いな人には、繊細な人も多く、自分が傷つくことに過剰に敏感であり、心の防衛が強く働いているのです。

尚、この心理的にひきこもる、話さない行動の選択は無意識の場合もあります。

2.自分の人生になげやりな態度・「どうせ」という態度で関わる

自分が嫌いな人は、他者との関係がスムーズに築けません。

心理的にひきこもる、他者と話さないことで自分を守っている人は、コミュニケーションスキルの未学習により、適切な自己表現が出来ないことも多く、その為、他者との関係が築けず、社会生活もうまくいきません。

その結果、誰も自分を受け入れてくれないという思いが生じ、対人関係において、「どうでもいい」、「どうせ」という態度を取ってしまうことがあるのです。

しかし、この投げやりな態度を取ってしまうと、周囲の人は不快を感じ、本当に誰も相手にしてくれない可能性が高くなるのです。

3.人を敵視する

自分が嫌いで、他者と分かち合うこともなく、人間関係が築けないと、社会から除け者にされているように感じられるでしょう。

本当は、自分の対人関係における態度等が、その現実をつくったのですが。

自分が嫌いな人は、その現実から自分を守るため、自己防衛心より、「自分は悪くない、悪いのは相手(他者)だ」という思いが強く生じ、自分を取り巻く周囲を敵視、憎みます。
そのため、人間関係はますます悪化していきます。

自分が出す雰囲気は、周囲も確実にキャッチします。
そのため、逆に周囲から無視、敵視、嫌悪される存在となってしまうのです。

4.人を見下す

自分を嫌いな人が、他者を敵視しなければならない現実的根拠はありません。

根拠もなく自己防衛心より人を敵視することは、人を見下す心理につながります。
それは、他者を敵視することは、敵より自分が勝っていなければならないからです。
これにより、心のバランスを取るのです。
(自分が勝っている根拠は当然ありません)。

これも、自分の心を守るための手段なのです。

5.激しい競争心を燃え立たせる

人を見下す、敵視する心理と並行して存在する心です。
見下す、敵視するには、その感情を抱く人達に、何かにおいて、実際に勝たなければなりません。

根本的に自分が嫌いな人は、自己価値が低く、それは、劣等感を意味します。

劣等感が強ければ、優越への欲求が高まり、当然、見下す、敵視している人達に対して、激しい競争心を燃え立たせるのです。

激しい競争心は、ますます、人との分かち合いを困難なものとするでしょう。

6.過剰に人に好かれようと振る舞う

さて、ここまでは、自分が嫌いな人と周囲との軋轢に関して書いてきましたが、自分が嫌いな人も、周囲に嫌われていると、周囲との不適応より、当然生き辛さを感じます。

この時、このままの自分ではいけないと気づき、今度は好かれよう、そして周囲と適応しようという思いが強まる時があります。

そのため、過剰に人に合わせようと無理な行動を取ります。

しかし、他者に過剰に合われることは、自分を抑え、自分ではない自分を演じ続けなければならず、心理的疲労、破綻より、長くは続きません。

自己嫌悪(自分が嫌い)からの回復のために

自分が嫌いな心の状態で社会生活をおくることは、自分自身の心が傷つき、社会生活をおくることが難しくなってきます。

そして、以降、自分が嫌いな人が取る行動は、次の3つのうちいずれかではないでしょうか。

A.ひきこもる。家、部屋に引きこもり社会と断絶、自分を守ります。

B.社会に対する激しい憎しみを抱き、報復行動をとる(度が過ぎると犯罪です)。

C.自分をみつめなおし、自己嫌悪からの解放、社会適応を目指す。

私は、自分が嫌いな方にとって頂きたい行動は、自己嫌悪からの解放と、社会適応です。

冒頭に書きましたが、私自身が30年程前までは、自己嫌悪の塊のような存在であり、それでも、何とか社会適応までのレベルに達しましたので、誰にでも、自己嫌悪からの解放の可能性はあると考えています。

では、自己嫌悪からの解放のために、何をすれば良いのでしょうか。

Index
1.人を不快にする言動を慎むこと
2.素直になる(評価も素直に受け取る)
3.他者から認められる・愛される経験をすること

1.人を不快にする言動を慎むこと

自分が嫌いな人は、人を不快にする言動を取りがちです。
(適切なコミュニケーションスキルを知らない、また、自己嫌悪が他者嫌悪となり、嫌悪的な表現をしてしまう)。

でも、それでは、人から嫌われるだけで、その結果、自分が嫌いな人は、ますます、自己と他者を嫌うでしょう。

自分も他者の心も大切にした、コミュニケーションスキル等を学びましょう。

また、相手の立場に立って感じる、振る舞う能力の育くみも必要です。

2.素直になる(評価も素直に受け取る)

今までの人生において、様々に心が傷ついた体験があり、そのため、あえて、一見、ひねくれた言動、他者との距離を取り、他者を責める言動等が多かったと思います。

でも、心理的にこれらは、自分の心が傷つく恐れからの、自己防衛と考えられます。

恐れを手放し、素直になること。

素直な態度、言動を心がければ、また、他者の対応も変わってきます。

また、自分が嫌い、自己嫌悪の強い方は、自分を否定、相手も否定する傾向から、他者からの評価を受け取りにくい傾向があります。

他者からの評価は素直に受け取り、自分自身のプラスのエネルギーへ変換して頂きたいものです。

3.他者から認められる・愛される経験をすること

自分、他者を配慮、大切にしたコミュニケーションスキルを学び、素直さを意識していれば、他者の接する態度も変わってきます。

自分が変われば、他者も変わるのです。

他者から認められること、愛されている実感を経験、体験出来れば、さらに、自分自身も変わり、周囲との関係性もよくなり、社会適応度は高くなるでしょう。

ここまでくると、自己嫌悪の感覚も低くなり、逆に、自分が自分を認めることが出来、自分にOKを出せるのではないでしょうか。

自分が嫌いな人の行動と心理、自己嫌悪からの解放について書かせて頂きました。

時間はかかるかもしれませんが、チャレンジする価値はあると思います。

私も通った道です。

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