目立つ人・目立ちたがり屋の心理と問題について
目立つ人・目立ちたがり屋の心理と目的の様々
人様々。
目立つ人もいれば、控えめな人、居るかいないか分からない人等。
また目立ち方も人様々です。
私はどうかというと、目立つことはありません。
目立ちたくないのだと思います。
静かに、そっと咲いていたい。
さて、目立つ人の心理ってどのようなものでしょうか。
私は決して、目立つことが問題ある行動とは考えていません。
もちろん、問題がある場合もありますが・・・。
1.目立ちたくないけど目立ってしまう(役割責任の率先)
組織や集団においては役割があります。
その役割については、引き受けたくない役割もあると思います。
私の臨床経験の中で、なぜか、誰も引き受けたくない役割、誰も立候補しない雰囲気が嫌で、無意識的に手を上げてしまう。
このような相談を、何人か話された記憶があります。
この人の中には、「人が困っている状況においては自ら率先して、物事すべき」という信念があるのでしようか?
目立ちたくはないけど、本人も損な役回りと思っても、やってしまう。
結果、周囲の期待とプレッシャ-から、自分が辛くなってしまうのですが・・・。
2.目立つこと注目されたい症候群
自分が人気者、笑いを取る者。
場の中心にいてこそ価値がある。
このようなアイディンティティを、持たれている方もおられるでしょう。
周囲を笑わし、場を和ませる才。
1点だけ注意。
相手を見ることです。
とくに年配者に対して。
年配者から見ると、軽率者と判断されかねません。
さて、目立つ心理。
そこには、注目されたい症候群があるのかもしれません。
では、注目されたい症候群の人達はどのような心理なのでしょうか。
子供時を振り返って頂きたいのですが、多くの子供は親から注目され、賞賛され育っていきます。
子供にとっては、注目されること、賞賛は生きる栄養源のようなものではないでしょうか。
しかし、子供時、親かせ注目されず、否定、無視され続けた子供が成長すると
子供時に得られなかった、注目、賞賛を、反動より過剰に求めることも考えられます。
注目、賞賛された動機が、目立つ行動へと結びつくこともあるでしょう。
ある意味、目立つ心理、注目、賞賛されたい人は、孤独なのかもしれません。
3.根っからのリーダータイプ
個人的には羨ましい才です。
リーダータイプはどうしても、何ごとも率先して行いますので、その言動は目立ってしまいますね。
組織においては貴重な存在でしょう。
注意すべきことは、尊大、傲慢にならないこと。
自分を引き上げてくれた人に感謝、また、協力してくれている同僚、部下にも感謝。
稲穂は実りて頭を垂れる。
4.萎縮した心とのバランスを取るために
何か自分の心、気持ちが常に萎縮している。
過去の許せない様々な思い。
怒り、恨み。
これらネガティブな気持ちを抱き生活をしていると、何かと人と優劣を競い合い、競争心が前面に出てくる事があります。
この競争心が、他者との場で、目立つ心理となり発揮される場合もあります。
目立つことで勝つのです。
例えば、職場の議論等の場においても、相手を打ち負かす論を述べることで優越を味わい、また、その結果、目立ってしまうのです。
行き過ぎた競争心は、他者の不快をかい、結果として自己の立場を危うくすることもあります。
また、行き過ぎた競争心は、他者を蹴落とすために、平然とライバルの、あること、ないことを周囲に吹聴したりすることもあります。
自分がなぜそこまでのことを行っているのか。
他者からどのように自分が映っているのか。
過去の劣等感、萎縮した自己の回復のために行っているのか。
何事も行き過ぎには注意が必要です。
すべては自分に返ってきます。
それも、望まない形で。
5.自己過大症候群
必要以上に自己を過大視する傾向です。
自己を過大視すると、その表現は当然目立った方法を取ることになるでしょう。
自己を過大視することは内面の行為ですので、問題ありませんが、それを外に向けて発信、表現すると、問題が起こる時があります。
(本当は多くの人が、自己過大の傾向を持っていると思いますが、それを外に向かって表現するか、しないかの違いです)。
今の時代、1人1人がネットを通じて物言える時代。
また、薄っぺらい情報でも、すぐに入って来る時代。
何を書いても、語っても、言論の自由ですから構いませんが、あまりにも度が過ぎ、さも自分は物知り顔、他者批判等行き過ぎてやってしまうと、その事実は災いとして自己に返ってくることもあります。
あまり、自己過大症候群については、批判的になってしまい、書きたくありませんので。
ここまでとさせて頂きます。