心配性の人は頭がいい?
以前、「心配症の人は頭がいい」という説を聞いたことがあります。
私も、相当な心配性ですが・・・。
しかし、心配性も、少し心配性な人もいれば、過剰な心配性の方もおられるでしょう。
少し心配性な人とは、先々のこと、進む道等に関して、様々なことを考え、心配しますが、結果として、リスクを避け、最善の道を探すことも可能であり、この意味においては、心配性の人は頭がいい、と言うより、心配性の人はリスクを避け、最善の道、方法、手段を選択する可能性が高いと言えると思います。
問題は、過剰な心配性の人の場合です。
(以下の文章における心配性は、過剰な心配性と、言葉を置き換えて、お読みください)。
さて、この「心配性の人は頭がいい」。
この文章は2つに分けて、検証する必要があります。
それは、「心配性」と「頭がいい」、という言葉に対してです。
まず、心配性。
不安なことを考え続ける思考より過剰な心配が生じる
心配性とは何でしょうか?
これは、これから先の様々なことに対して、不安なことを想起、考え続ける思考ではないでしょうか。
その不安とは未来に伴うことが、ほとんどだと思います。
不確定の未来に対して、起こって欲しくない結果、状態等、不安なことを延々と考えづける。
このように、心配性の背景には不安があります。
もしくは、心配性と不安はセットになっています。
さて、不安の強い人、不安をあまり感じない人の差は、生まれ持っての気質、そして、親子関係等から育まれる、心の安心感度合、または、成育歴によるストレス対応能力、自己肯定感等が、抱く不安、過剰な心配に対して大きく影響します。
不安、心配とは誰でも抱くものです。
その不安にいかに対応するか、一時的に感じたものと処理するのか、ずっとその不安を感じつづけるのかによっても、不安の脅威は変わってくるでしょう。
あまりも不安なこと、不安に彩られた未来のことばかり考え過ぎると、心が鬱々となってしまい、前に進む意欲も削がれ、現実逃避の気持ちも起こることでしょう。
もともと不安の強い人が、不安に基づき未来の事態を憂い想う、そして、その事態、未来を悲観的に捉え続ける、これが、心配性(過剰な心配性)ではないでしょうか。
(この意味において、不安とは感覚的要素が強く、心配とは不安に基づく思考的要素が強いように感じます)。
誰でも心配なことはあるものですが、ずっと、同じことを心配し続けても、前に進みません。
ずっと、心配し続け、考え過ぎるということは、心配の背景に大きな不安の感覚(不安感)が存在します。
何らかの出来事に対して、一時的には、将来の不安や心配を感じた、考えたとしても
・何となるという思考、感覚
・心配している出来事に対して、具体的改善策を積極的に模索する
・不安なことを考えたとしても、それはそれで、今に集中出来る
・気晴らしが出来る
上述の彼らは長時間、不安や心配にとらわれることはありませんが、不安より悲観的な将来のみを考え続ける人は、将来が不安と心配に囚われ、これらに支配され続け、より過敏な心配性になるのだと思います。
こう、考えると、本タイトルの、「心配性の人は頭がいい」という結論には疑問があります。
頭がいいとは、何を示しているのか、分からないのですが、
私の言葉で書くと
「過剰に心配性の人は、不安より将来の不安にこだわり続ける。そして、心配、不安に対する気分転換、思考転換が苦手」。
こんな感じでしょうか。
そして、心配性の人は、自身の抱える心配、不安なことを考え続けるため、それが、心の問題に発展する場合もあります。