人間関係の悩み
・挨拶をする時、相手の目を見るのが怖い
・雑談が出来ない
・人といるとなぜか遠慮をしてしまう
・無理に場を盛り上げようとしてしまう
・話しが続かない
・自分だけ話し続けてしまう
・相手からどう思われているのか気になり、会話に集中出来ない
・誰かに何かを相談することが出来ない
・気が合わない・嫌いな人がいて意識過剰になり辛い
・自分が嫌われているのではないかとビクビクしてしまう
・なぜか、いつも浮いていると感じてしまう
・人からの否定的な反応に敏感で怖い
対人関係、人間関係には、このような様々な悩みがあると思います。
しかし、私たちは、なぜ、これほど過剰に人間関係について悩むのでしょうか?
社会とは人で構成されており、人間関係に適応しないと生活、生きることが難しい
私たち人間の社会は人で構成されています。
人で構成されているということは、その人間関係から排除されてしまうと、社会に適応することが難しくなり、結果として、孤独、孤立の状態を招き、生きること、生活することに支障が生じるのです。
したがって、所属する人間関係からの排除を恐れ、嫌われることを恐れる為、周囲から自分がどう思われているかが気になり過ぎ、悩み過ぎ、心を病んだり、さらには、周囲から認められようと、テンション高く振る舞い、その結果、逆に浮いてしまう等。
結局は、所属する人間関係からの排除、嫌われることを恐れすぎ、かえって、人間関係を築くことに失敗して、人間関係の悩みを深めてしまうことが多々あるのです。
では、具体的に人間関係を少しでも楽に乗り越えるためには、どのような心構え、行動が大切なのでしょうか。
以下に列挙します。
1.自分軸の問題・他者との境界を大切に
2.反省過剰と過少の問題・人間関係におけるバランスの大切さ
3.他者の反応を恐れないこと・人は勝手に刺激に反応します
4.幻想を手放す・全ての人に受け入れてもらうことは不可能である事実を知ること
5.他者を受け入れる寛容性と流せる大切さ
1. 自分軸の問題・他者との境界を大切に
基本は、「自分は自分で良い」のです、「自分はOK」でいいのです。
しかし、人間関係で悩む人は、自分は自分で良いと言われても、自分のどこが良くて、「自分は自分で良い」のだと、自問自答をされるでしょう。
「自分はOK」でいいと言われても、自分にはいいところ、良いところ、魅力等はありません。
とても、「自分はOK」とは思えません。
と、仰られる方もおられることでしょう。
しかし、自分の存在は唯一絶対であり、この世にただ1人しかいない自分。
それを否定する根拠はありません。
したがって、自己存在論の観点から考えると、「自分は自分で良い」、「自分はOK」なのです。
今の自分で良いという、自分軸を持つことは大切です。
自分が自分を認めることです。
しかし、多くの人は、唯一この世に存在している個性ある自分の存在を肯定せず、自分と他者との比較により、自分の劣っているところ、ダメなところばかり強調する傾向があります。
「自分はNO」のレッテルを、自分に貼ってしまうのです。
その結果、「自分なんて」という思いが生じ、「自分は自分で良い」とは思えないのです。
他者との比較は、人間であれば誰でもすることです。
なぜなら、他者との比較の結果、自分を知ることにつながるからです。
しかし、自分には自分の良いところがあると常に認識し、自分と他者との比較の結果にこだわらないこと。
すなわち、自分と他者との間に境界を引くことが大切です。
他者には他者の良いところがあり、
自分には自分の良いところがある。
自分軸、自分の良い点をしっかりと認識、そして、他者とはしっかりと境界を引き、他者との比較の結果に惑わされることなく、「自分は自分で良い」、「自分はOK」であると、常に考え、意識づけることは大切なことではないでしょうか。
2.反省過剰と過少の問題・人間関係におけるバランスの大切さ
さて、先に自分は自分で良い、自分はOKと書かせて頂きましたが、やはり、人間、日常生活、人間関係において、その言動等について反省、改めるべき点は、出てくるでしょう。
それは、それで、反省をされ、改める努力をされればいいのですが、反省という行為そのものにおいて問題が生じる時があります。
1つの例として、「相手に対して言い過ぎてしまった、失礼な態度を取ってしまった」。
このようなことが起こった時、人は反省をして、次回以降、言い過ぎないように気をつけようと反省されると思います。
健全です。
しかし、問題は、自分の問題行動を過剰に反省すること、また、問題から逃避して、問題と向き合うことをやめてしまう過少反省です。
これでは、人として、健全な成長は図れません。
過剰反省の問題
先の例。
「相手に対して言い過ぎてしまった、失礼な態度を取ってしまった」。
これを自分の失態と考え過ぎると、過剰反省となります。
過剰に反省を繰り返し続けると、次に人と会う時は、なるべく自分は話さず、相手に合わすことが無難と考えることもあり、これでは、自己主張が出来ず、表面上は人間関係がうまくいっているようでも、過剰反省の結果、自分の言いたいことは伝えられず、お互いが理解し合う人間関係とは、ほど遠いものになってしまいます。
また、過剰反省は、反省をし続けた結果、自分を責め続けることにつながり、その為、自己価値の低下、自己否定症候群へと進むこともあります。
いつも、いつも、自分の言動をチェック、相手の顔色を伺い、自分は相手を不快にしていないか、嫌われていないか等に、心が傾き、まともな会話が成立しないこともつながるでしょう。
過剰反省は、人間関係の悩みを深めてしまうのです。
反省はほどほどに、そして、自分軸を大切に、バランスの良い、人間関係を目指したいものです。
反省過少の問題
反省過少の問題としては、2つ考えられます。
反省しない
「自分が人に対して失礼な態度を取った」、その心理的原因の分析、及び、行動を改善しない、反省過少。
過剰反省は自分を責め続け、自分の価値を低下させてしまいますが、自分の行為行動を反省しないと、これは、同じ失敗を繰り返すことにつながり、その結果、他者の反感をかい続け、人間関係を築くことが難しくなることがあります。
人間関係の悩みにおいて、過剰反省は問題ですが、反省をしない過少も問題です。
過少の問題として人を避ける行為行動
人間関係における行為行動に対する反省とは、良好な人間関係を築く、社会に適応する為に必要なものですが、人間関係における失敗行動から、人が怖くなり、自己反省をすることもなく、人を避けることによって問題を生じないようにする、反省過少より、人間関係が築けなくなることもあります。
すなわち、人を避けることによって、人間関係が築けず、孤独の問題に陥るのです。
過少反省は、人間関係の悩みの問題を自分自身で深めることにつながります。
3.他者の反応を恐れないこと・人は勝手に刺激に反応します
人は様々なことに反応します。
今、私が書いている文章に対しても、読まれた方は、様々な感情を抱き、反応されておられることでしょう。
私たちは反応する生き物なのです。
何に対して反応するのか、「刺激」です。
そして、人間関係において、私たち1人1人が、「刺激」を放っているのです。
人間関係を上手に築ける人は、その刺激の出し方、すなわち、自分の出し方が上手なのでしょう。
または、自分が出している刺激に対して、あまり気にかけておられないのかもしれません。
賢明です。
あまりにも奇抜な行動は、人々の嫌悪感をかってしまうかもしれません。
また、あまりも自分勝手な発言も、浮いてしまうでしょう。
人は刺激に反応します。
それにより、人から受け入れられたり、好かれたり、嫌悪されたり、排除されたりと様々です。
そして、私たちが出す刺激とは、自己主張、自分を出す側面もあれば、自分を抑える、抑圧の側面もあります。
私たちの様々な言動、態度が、他者にとっては、刺激となるのです。
この、私たちがその時々に表す刺激、すなわち、自分自身が意識的、無意識的に取っている、態度、言動、について、他者の反応を過剰に気にすることをやめませんか?
なぜなら、「刺激への反応」とは、他者が各々、勝手に自由に反応する現象だからです。
勝手に他者が反応するということは、相手が自分のことをどう思うか等、コントロール出来ないのです。
このコントロール出来ないことを、コントロールしようとして、無理に合せる、感情を抑える続ける、キャラを強引に変える等、様々なことを試みられるのですが、何事も強引、無理にすると、その反動は自分に返ってきます。
その結果、自分が何を考えているのか、感じているのか、分からなくなってしまうこともあるのです。
円滑な人間関係を考えるにおいては、必要以上に他者の反応を意識する必要はありません。
その根拠は、他者はあなたの出す刺激、あなたという存在の刺激に、各々が勝手に自由に反応しているだけであり、その他人の反応をコントロールすることは不可能です。
刺激に対する反応をコントロールすることが出来るのは、刺激に反応している本人のみです。
必要以上に、自分はどう思われているか等、他者の反応、他者を意識して恐れる必要はないのです。
刺激に対する他者の反応を意識すること、コントロールすること手放しましょう。
これは、人をコントロールすることと同意ですが、実現、不可能なことです。
不可能なことへのチャレンジは手放しましょう。
他者からの自分への、勝手な反応については放っておきましょう。
但し、常識の枠内において、相手を不愉快にする言動は慎むこと。
これは、社会のマナ-、範囲の内においてです。
しかし、この点においても補足します。
相手を不愉快にする言動は慎むことと書きましたが、何がその人を不愉快にするか等、分かりません。
したがって、自分軸を大切に考え、他者との境界を引き、必要以上に考え過ぎないこと、悩み過ぎないことが大切です。
分からないことを考え過ぎても、結論が出ることはなく、時間を無駄にして、かつ、心を疲弊させるだけです。
4.幻想を手放す・全ての人に受け入れてもらうことは不可能である事実を知ること
さて、人間関係において、「全ての人に好かれたい」という、大いなる幻想をお持ちの方も多々おられます。
残念ながら、この幻想をお持ちの方は、その多くの人が人間関係で悩まれてしまうのです。
なぜなら、全ての人に受け入れてもらい、好かれることは、現実的な事象としてあり得ないからです。
ありえないことに挑戦すると無理が生じます。
幻想にしがみつき、幻想を具現化しようとしても無理です。
先にも書きましたが、「人は刺激に勝手に反応します」。
人は目の前の人の刺激に反応して、好き嫌い、今後の付き合い方等を決めていくのです。
あなたのことを好いてくれる人、あまり好いてくれない人等、様々です。
でも、それはあなたに対する、相手の事情、都合、心がそれを決めていくのです。
したがって、皆好きに刺激に反応します。
あなたに反応します。
それをコントロールして、皆に好かれる、受け入れてもらうことは不可能なのです。
自分と仲良くなれる人だけと、深く付き合ってもいいのではないでしょうか?
他人の自分に対する感情、反応をコントロールすることは不可能であり、全ての人に受け入れてもらうこと、好かれることも不可能でしょう。
他人をコントロールするということは、あなた自身が他者を意識して、自分が望まない、言動を取ることにつながり、この点においてストレスが高まり、また、全ての人に受け入れてもらっていない、好かれていない事実より、自分の理想との不一致から、自分で勝手に人間関係の悩みを深めてしまうのです。
実現不可能な幻想は手放しましょう。
5.他者を受け入れる寛容性と流せる大切さ
さて、円滑な人間関係構築において大切なこと。
あなたは、他者を受け入れていますか?
世の中、様々な人がいます。
自分が他者より、好かれよう、受け入れてもらおうと想うのは自由ですが、自分は他者をどけだけ受け入れているのでしょうか?
あまりにも、激しい、人に対する好き嫌いは、人間関係を悪化させます。
なぜなら、好き嫌いという感情、感覚は、あなたの表情、態度、仕草によって表現されてしまうからです。
人とは不思議なもので、感覚的に相手が自分のことをどう思っているか、感じ取る能力があるのです。
そして、自分が嫌われていると感じ取った相手は、あなたのことを、当然嫌うでしょう。
したがって、大切なことは、自分がどこまで他者を受け入れられるか、寛容性が重要になります。
様々な人が存在して、私たちの社会は成り立っています。
生理的に無理、どうしても嫌な人を受け入れる必要はありませんが、その人を嫌う前に、その人を知る努力はしていますか?
すなわち、コミュニケーションです。
あなたが、相手の出す刺激より、相手を嫌いと反応したとしても、実際のところ、コミュニケーションを図り、相手のことを知れば、その相手に対して好意を抱くかもしれません。
好き嫌いの激しさを認識されているのであれば、その判断を下す前に、相手の存在にシャッターを下ろす前に、少し、コミュニケーションを取ってみてはいかがでしょうか?
相手に対する見方がかわるかもしれませんよ。
それから、どうしても受け入れられない、無理、嫌いな人がいた場合は、流すことです。
人によっては、その好き嫌いの激しさから、嫌いな人に敵意をむき出しにして、関わりを断ち切ろうとする方もおられますが、それでは、お互い、反目し合うだけです。
さらには、その敵意を向き出しに接した相手から、仲間を集められ、あなたが、集団に居づらくなり、嫌われ、排除される可能性もあります。
誰でも嫌いな人、受け入れられない人が存在します。
出来るだけ、その気持ちは現わすことなく、自分の抱く感情を流す努力も大切だと思います。
人間関係の悩みで過剰に悩まないためのまとめ
自分が好きな人、嫌いな人がいる一方、自分に好意的な人、自分を嫌っている人がいることも、ごくごく自然なことです。
人は刺激に勝手に反応する生き物です。
それだけのことです。
自分に対する他者の反応をコンロールすることは難しく、他者から好かれようとする行為行動は、他者を中心においた人間関係につながり、結果として、自分自身の尊厳を低下させ、自己肯定感等を低め、返って、人間関係の悩みを深めてしまいます。
また、全ての人に好かれよう、受け入れてもらおうという理想は幻想に過ぎません。
不可能なことにチャレンジして、それが出来ない自分を責め、悩みを深めることに意味はあるのでしょうか。
人は人、自分は自分。
自分軸を大切に、他者との境界を大切にしながら、円滑な人間関係を築く努力をしましょう。