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心理的ひきこもり

心理的ひきこもり(心を開かない孤独な社会生活)

心理的ひきこもりとは、社会生活は送っていますが、常に周囲に対しては心を閉ざしており、周囲との親交もなく、集団の中で1人孤独に過ごしている状態を指します。

社会的ひきこもりが対人不安より社会を避け部屋にひきこもるのに対して、心理的ひきこもりは対人不安を抱えながらも社会参加を行い、傷つくことを避けるために心を閉ざして、人中で1人でいる状態なのです。

実は私も親子関係、アダルトチルドレ等の影響から様々な問題を抱えており、心理的ひきこもりでした。

心理的ひきこもりであった私は、傷つくことの恐れから自分を守るために、人の中においては心を閉ざしていました。

そして、心を閉ざして自分を守るための行動パターンは2つあります。

1つめは、心を閉ざしながらも人との付き合いを避けないパターンです。
人の視線や評価には大変敏感なのですが、悪く思われたくない、嫌われたくない思いから人に合わそうとします。

しかし、人からの傷つく恐れの不安が一杯で心を閉ざしていますので、人に合わせてばかりで自己表現が出来なかったり、うまく会話に入れなかったり、人と楽しく過ごすことが出来ず、孤独を感じてしまいます。

本来人と上手く付き合うには、ある程度心をオープンにしていなければなりません。

心を閉ざすということは基本的には防御の姿勢であり、自分が防御をしている以上、相手からの理解を得られることもなく、お互いが理解し合う親交を深めることは難しいのです。

ですから、心を閉ざしながらも人と付き合う、人に合わせることは大変無理があり、強いストレスが生じることでもあるのです。

そして、もう1つのパターンです。

これは、かつて私が行っていたパターンです。

人の中にいても周囲対して心を開かず、かつ行動・態度も敢えて距離を置く態度を取るパターンです。

人に対して心を閉ざしながらも、人と合わそうとするタイプの人は、人との軋轢を避けようと努力をしていますが、心を閉ざし、かつ行動・態度も人とのかかわりを避けようとする人は、自ら積極的に人の中で孤独を選んでいます。

人とかかわることによる傷つきを恐れるために、自分から人を寄せ付けない態度をとり、人が近寄ることを許さず、それにより人を避け自分を守ろうとするのです。

私自身高校・大学と人を拒絶する態度を取っていました。
したがって大学時は友だちとか楽しい学園生活とは無縁でした。
とくに大学時は、1人で大学に行き、1人で授業を受け、食堂で1人で食べ、昼休みは図書館で寝る、そして授業、帰宅。

ずっと1人でした。
そして、楽でした。

しかし、卒業後会社に入ってからしっぺ返しがやってきました。

さすがに会社で近寄るなという態度は取りませんでしたが、それまで人と親交を深めた体験も少なく、人とどう接していいのか分かりませんでした。
また、自己表現、コミュニケーションの方法も分からなかったので、結局は心理的にひきこもって人と話すこともなく、職場で1人でいました。

人の中にいても、1人でいるという方法しか知らなかったといっても過言ではありません。
いずれにせよ、職場には居なければならないのですが、居ること自体が苦痛でした。

その後、14年間の会社生活、そして様々な体験を通して自己表現の仕方、コミュニケーション、人との付き合い方、感情を感じる能力等の回復が図れました。

私が社会的ひきこもりではなく、心理的ひきこもりであって良かったと思うのはこの点です。

辛さを抱えながらも社会生活を送り続けることにより、社会に慣れることが出来、社会生活を送る力が付いてきたのです。

社会的ひきこもりは社会自体からひきこもってしまいますので、この経験が出来ません。
ひきこもりの期間が長ければ長いほど社会復帰が難しくなります。

心理的ひきこもりは生き辛さを抱えながらも社会の中耐えているので、辛抱するにつれ、また自分の気持ちが高まれば、やがては社会的スキルが獲得出来るのです。

自分を過剰に守ることをやめ、人との付き合い方、社会性を学べば、必ず心理的なひきこもりからの回復は図れ、本来持っている強さも発揮出来ると思います。

また案外、人っていいかも、と思えてくると思います。