不安の共有と連帯「マイナスの側面について」
不安、不安感の共有は連帯意識を強め、生きるエネルギーにも直結します。
例えば、病気闘病中の方が、同じ病気の方と知り合い、抱いている病気に対する不安を話し合い、知識、心の共有を行い、連帯感を強め、病気と闘う。
また、不安な社会情勢においては、先の不安を同志皆で語り合い、意識、認識、目標を共有。
皆で連帯して社会改革に臨む等。
人々の不安に対する共有と連帯は、私たち団結力を強め、生きる力ともなるのです。
しかし、その逆も存ります。
今回は、不安の共有と連帯におけるマイナス面を書きたいと思います。
ここで言うマイナス面とは、人としての成長することに対するマイナス面のことです。
では、不安の共有、連帯がなぜ人の成長にマイナスをもたらすのか?
考えてみましょう。
人間関係の成長を阻む不安の共有と連帯について
1.人間関係に対する不安の共有のマイナス面
人の成長にマイナスをもたらす、気持ちの共有、連帯とは、「人間関係における不安の回避」を目的とすることが、多々あると思います。
詳しく書きますと、人間関係がうまく築けない人がいます。
そして、このタイプの人は同じく人間関係を築くことが苦手な人と手を組むのです。
類は類を呼ぶとでも言いましょうか。
例えば、人が集まっています。
そこに、人間関係を築くことが苦手なAさんが入って来ました。
彼は初対面の人と気楽に話すことが出来ず(話したくない)、でも、ひとりぼっちの疎外感や、そこからくる不安を感じたくないと思っています。
彼はどのような行動をとるでしょうか。
話したくはないが疎外感を避けたい。
考えられることは、自分と同じようなタイプを探してその人と一緒にいることです。
でも、これは友人になりたいからではなく、単にその場にひとりぼっちでいることが心理的に苦痛なので、その事態を避けるために一緒にいるだけです。
人として相手から学ぼうとか、相手を尊重する姿勢もありません。
2.私の不安の対人関係よりの共有体験
私は過去、心理的ひきこもりでした。
人間関係を築くことが苦手でした。
学生時はクラスでも浮いた存在でした。
では、私がどのように学生時を過ごしたか。
少し振り返ってみたいと思います。
クラスで気楽に話しが出来ない学生は少数派です。
したがってその他大勢のクラスの人間は敵となります。
なぜ敵か。
それは、自分とは異質な人間であり、自分と異なる者が大勢いるため、自分は浮いてしまい、辛くなる。
その他大勢のために、自分が辛くなるという、短絡的な自分勝手な思考に基づき、敵とみなすのです。
そして、その大勢の敵のなかで私はいかに振る舞ったでしょうか。
それは、自分と同じタイプを見つけて一緒になることなのです。
さすがに1年間クラスで、ひとりぼっちを続けることは、慢性的な孤独と不安を感じます。
自分と同じタイプと一緒にいることにより、孤独感、不安を和らげたのです。
でも、仲良くなりたいわけではなく、ひとりぼっちが嫌で一緒になったわけですから、1年間一緒にいたとしても、それほど関係性も深まらず、友人関係にも至らず、クラスが変われば、その関係性は終了でした。
大勢の敵に対決するために、一緒になったのですから。当然です。
敵がいなくなれば、敵が変われば一緒にいる必要もなくなるのです。
3.人間関係における不安の回避を図るマイナスの面について
大勢の中、人の中に入れない。
1人の不安と孤独は感じたくない。
この不安に対して、同じようなタイプの人をみつけ、一緒にいることにより、不安に対する気持ちの共有と連帯を図りました。
さて、この方法の継続からくる問題は何か。
それは人として成長しないことです。
人は様々な人と経験を通して成長します。
同じタイプの人間としか付き合わないということは、違うタイプと付き合うことが出来ず、違うタイプの持っている良い点、個性、長所を学習することが出来ません。
したがって、対人関係スキルの向上は図れず、自己成長も難しいのです。
不安、孤立の感情から自分を守るために、人と一緒になることからは、学ぶことや体験も少なく、真の友人ともなりえないのです。
「人間関係における不安の回避」を目的とする、連帯は、人としての成長を阻むのです。
もし、あなたが、対人関係において、今の自分を変えたい。
そして、もう少し、人としての交流を増やしたいと望むのでしたら。
心理カウンセリングは有効でしょう。