人からの他者評価を過剰に意識する問題は自己価値の低下につながる
アダルトチルドレンの問題での相談の1つに、過剰に人に気を使いすぎること、人の視線を意識しすぎること、どう思われるか気にしすぎること、過剰で頑張り続けて人から評価を得ようとすること等、他者を意識した問題と悩みを多々開け賜わります。
これらは何を意味しているのでしょうか。
人からの評価を過剰に意識する心理と問題
Index
1.自分が自分を評価出来ない虚しさより他者評価に執着する
2.他者評価以上に自分が自分とつながり、自己を評価する大切さ
3.自己信頼感・自尊心を回復するために(私の経験より)
1.自分が自分を評価出来ない虚しさより他者評価に執着する
一見、人間関係の悩みのように捉えられます。
もちろんここには、対人不安の問題も絡んでくるのですが。
これらに共通しているのは、人からの否定やマイナスの評価を極端に恐れる傾向があるのは確かです。
しかし、これが本質的な問題なのでしょうか。
そうかもしれませんし。そうでないかもしれません。
こういったアダルトチルドレンの対人関係の相談を受けていますと、ふと過去を振り返られた時に一言、言われます。「淋しかった時があって」「むなしかった」「虚無感」「漠然とした不安」これらを感じたことがあるということです。
私はこれらの言葉が問題本質のキ−になるかもしれないと思っています。
人間関係の悩みで悩まれているアダルトチルドレンの方は、人から否定されたら自分には価値がない、嫌われたら終わり、頑張って評価を得ないと自分はダメな人間と、自己存在の価値を他者評価、行為評価に置き換えてしまうのです。
では、この置き換えと淋しさ、むなしさ、虚無感、漠然とした不安がどう関係するかですが、
淋しさ、むなしさ等の背景に何があるか、それを考えていくとそこに、自己信頼感のなさが伺えるのです。
2.他者評価以上に自分が自分とつながり、自己を評価する大切さ
自己信頼感とは自分が自分を信頼している、自尊心を持っている、自分に自信があることを意味しています。
これがあると自分と自分がつながっているので、過剰に淋しさ、虚しさ、不安を感じなくなるのです。(もちろんアダルトチルドレン以外の人でもふと淋しさを感じることは正常の範囲であります)
逆に考えると自分が自分とつながっていないということは、他の何かとつながろうと動因が働きます。
それが他者とのつながりであったり、受け入れてもらっている安心感であったり、評価であったりとするのです。
したがって他者の好意を得よう、評価を得ようそのことに一生懸命になっている人は、それ以上に自分が自分とつながる必要があります。
言い換えると、自己信頼感の獲得。自尊心の獲得です。
それでは、アダルトチルドレンの問題で悩まない人はどのようにして、自己信頼感や自尊心を獲得したのでしょう。
自己信頼感、自尊心、自分に対する自信は生育暦のなかで親に認めてもらう、誉めてもらうことから獲得します。
したがって生育暦の中で親に認めてもらえなかったり、否定され続けたり、干渉され続けると、自分はNOの感覚を持ってしまいマイナスの感覚が蓄積されてしまうのです。
逆に考えますと、自己信頼感や自尊心はプラスのOK感覚です。自分は存在してOK。好きなことをしてもOK等。
では、自分に対してのNOの感覚、自己信頼感欠如、自尊心の回復をどのようにすればいいのでしょうか。これは私の経験上ですが2点考えられます。
3.自己信頼感・自尊心を回復するために(私の経験より)
1つめは、自分が自分に楽しみをあげること。好きなことをするということです。
これは趣味でもいいかもしれません。
仕事でもいいかもしれません。
とにかく自分が本当にしたい新しいことにチャレンジをして、それを達成していくのです。
そして達成感を感じてください。
達成感を感じることは、それじたいが、自分は出来るという感覚を獲得します。すなわち、自己信頼感の獲得です。
それから、もうひとつ大切なことです(2点目)。
それは、人との付き合いです。
私の持論ですが人は人を通してしか成長出来ません。
先ほどの新しいことにチャレンジするとしても、必ず人との関わりが出てきます。
チャレンジすると同時に、達成感を感じつつある自分に自信を持って、人の視線や評価に過剰を意識しないように、新しいパタ−ン、行動を促進していくことも大切なのです。
すでに新しいことにチャレンジ、行動しているということはそれだけで勇気を出し内面の変化もあります。
新しいことにチャレンジすると新しい人々に出会えます。
ここにひとつのチャンスがあるのです。
今までとは違う、成長した自分を出して自然と人との一体感を楽しめれば、過剰に人の視線を意識したり、評価を得ようとすることはなくなるでしょう。
あなたは、存在するだけでOKなのです。