兄弟比較|劣等感の問題
子供時、親から受けた兄弟間の比較は、評価されれば優越感を持つでしょうか、比較され、常にNOを突き付けられた子供は、自分が認めてもらえないことから、兄弟コンプレックス、劣等感を抱き、その人生に生き辛さをもたらします。
兄弟間比較を受けた子供の心理と成長後の問題
Index
1.兄弟間の比較と劣等感
2.人と人との比較に意味はない・比較を手放すこと
3.兄弟間の比較は自己価値低下と劣等感を人生に植え付ける
1.兄弟間の比較と劣等感
子供時に親より兄弟間、姉妹間での比較が続き、低い評価を受け続けますと、比較され評価が低かった子供は、自己評価の低さの問題を抱えて成長します。
頑張っても、頑張っても、兄弟間の比較を受け、親より、「兄(姉)を見習いなさい」等、言われ続けると、自己価値の低下、劣等感が強まり、自分が自分を認められず、比較によってのみ自分を認めようとする傾向が高まるのです。
そして、大人になっても、人と自分を比較するクセを持ってしまいます。
無意識にでしょうが、何でも、自分と他者を比較する傾向があります。
しかし、結果としては、自己評価の低さから、自分が劣ってしまう方に目を向けがちです。
そして、劣等感が高まります。
客観的に考えると、自分にも良いところが沢山あるのですが
どうしても、自分を低く評価してしまうクセ。
そもそも、私たちにとって、人と自分を比較することじたい、無意味なのですが。
(しかし、比較が企業(組織)からの評価であれば、それは成果基準を基に評価されているので、企業勤めをしている方は受け入れるしかないでしょう)。
2.人と人との比較に意味はない・比較を手放すこと
人としての自分を、他者と比較しても、意味はない。
自分と他者の比較は意味がない。
なぜなら、生まれた時の環境も違い、遺伝子レベルにおいて様々な、能力の優劣も違い、歩んできた人生も違い、脳そのものも違う。
他者との比較に意味はあるのでしょうか?
人として、その存在において、比較は可能なのでしょうか?
しかし、兄弟間等、身近な存在と常に比較され続けられ、親からの評価が不当に低かった子供は、どうしても、他者と自分を比較して、自己の優位点を探そうとする傾向が高くまるのです。
これは兄弟間比較における、基本的劣等感からくる、バランスを取ろうとする行為です。
しかし、残念なことに、そもそもの自己評価が低く
(子供時比較され続けた結果から、感覚的に学んだことです)
自分の良い点を認められず、良い点を見つけようと、比較しては落ち込んでしまう。
さらには、ダメな自分を責めてしまうのです。
結論は、他者との比較は、人として在ることにおいては無意味。
比較をやめること、比較を手放すこと。
また、逆に過剰な比較心理は、勝つことにこだわる心理を生み
他者攻撃性に転換されることもあり
これは、これで、また常に勝たなければと、永遠の戦に挑むことにつながり、生き辛さをもたらします。
また、過剰な攻撃性は、人間関係そのものを築くことを難しくしてしまい、社会適応の問題へと発展するかもしれません。
3.兄弟間の比較は自己価値低下と劣等感を人生に植え付ける
兄弟間の比較、とくに幼児、子供時において、
親からの比較による評価は
子供に生き辛さをもたらします。
そもそも、兄弟姉妹といっても、潜在能力、個性、人格、各々特徴を持った別の人間です。
何を基準として、比較するのでしょう?
比較は個性を潰します。
逆に自己価値低下と劣等感を植え付けられます。
個性を潰された子供は、自分が自分で在ることを大切とした人生を歩めないかもしれません。
それから、これは敏感な子供の問題でもあるのですが
子供は案外空気を読む、そして、自分中心的に物事を捉える傾向があります。
したがって、兄弟間において、親の接する態度が微妙に違うだけでも
自分は評価が劣っている、認めてもらっていない等
勝手に思い込み、劣等感を強めることもあるのです。
それだけ、子供は比較、評価に敏感なのです。