あなたのためを思って言葉の心理・本当はあなたのことを思っていない
「あなたのためを思って」、この言葉を使われたことはありますか?
この言葉、軽々しく、頻繁に乱発するものではないと思います。
それはなぜか。
この言葉をつかわれると、言われた相手は、それ以上、話しが出来なくなるからです。
でも、「あなたのためを思って」と、言わざるを得ない心理もあるでしょう。
冷静に話していては、話しが進まず、相手に対するもどかしさ、ダメなものはダメという、怒りの感情も交え。
本気で、「あなたのためを思って」と仰っているのかもしれません。
「あなたのためを思って」。
この言葉は、会話を締めてしまう程の、強烈な言葉であり、メッセージが含まれているのです。
しかし、残念ながら、強烈であるがために、諸刃の剣でもあります。
この言葉を言われた、受け取った人の心理は、分かってもらえなかった悔しさ、怒り、悲しみ。
それとも、ハッと目が覚めるか、どちらかに分かれるでしょう。
強烈な言葉ゆえだからこそです。
さて、虐待を親から受けた子供が、施設に預けられ、本気で「あなたのためを思って」と説く大人に出会うことにより、真剣に向き合ってくれる人と出会えた嬉しさ、そこから、子供も大人や人を信じることが出来るようになり、また、人生が良い方向に進みはじめるということを、聞くことが多々あります。
「あなたのためを思って」。
その本気度、真義が通じたのでしょう。
でも、「あなたのためを思って」、偽もあります。
その例を書きましょう。
「あなたのためを思って」言葉の背景にある心理的動機について
index
1.話しをさっさと終わらせたい
2.どうでもいい気持ち
3.負け犬の遠吠え
4.自己の傲慢性に基づく・他者支配
5.詐欺
1.話しをさっさと終わらせたい
いくら話し合ってもきりがない、時間の無駄。
話しを打ち切りたい。
最後の言葉、適当に「あなたのためを思って」。
こんなふうに言われると、言われた方はしらけてしまい、言った方同様、話す気、相談する気がそれてしまいます。
人間関係、信頼関係にも影響するでしょう。
2.どうでもいい気持ち
話しをさっさと終わらせたいと同様、どうでもいい気持ち、投げやりに、「あなたのためを思って」と発っする時もあるでしょう。
実際は、あなたのためなんか思っていません。
3.負け犬の遠吠え
少々、失礼な言い方かもしれません。
お許しください。
相手と議論、話し合いをしていて形勢が悪くなり、反論すら出来なくなった時、最後の締めの言葉として、「あたのためを思って言っているのに」等。
言われた相手からしてみれば、負け犬の遠吠えにしか聞こえないでしょう。
しかし、その議論、話し合いの結果が、最善のものであったかどうか、これは別問題なのです。
理屈に長けた人が、議論、話し合いにおいて相手をねじ伏せることはよくあることです。
口数の少ない人が、本当に、あなたのためを思ってと、真摯に発っしているのかもしれません。
しかし、議論、話し合いに勝った方からすると、やはり、負け犬の遠吠えとしか感じられないでしょう。
それは、勝者の傲慢勝手な感覚からくるのです。
4.自己の傲慢性に基づく・他者支配
問題ある、「あなたのためを思って」です。
言った本人は、相手のことを思って言っているんだという、気持ちが強いと思います。
しかし、本当にその人は、相手の立場に立ち、共感のうえで発っしているのでしょうか。
私が正しい、俺が正しい、言うことを聞け。
単に、自己の傲慢性に基づき、客観性を欠いた、「あなたのためを思って」ではないでしょうか。
自分の望む方向に人を、導きたい、誘導したい。傲慢です。
この、「あなたのためを思って」の一番の問題は、言った本人が自己の傲慢性、他者支配の気持ちに基づくものであることを、自覚していないことです。
言うことを聞かないと、さらに、怒りの感情で「あなたのためを思って」を乱発してくるかもしれません。
怒るのは、もちろん、相手が自分に従わないからです。
やっかいです。
5.詐欺
「あなたのためを思って」。
このプランいいですよ、儲かりますよ、
もう、「あなただけに教えます、あなたのためを思って」。
おそらく怒りの感情はないと思います。
狡猾に相手を口説き、金品を巻き上げる。
いかがでしょうか。
「あなたのためを思って」。
その背景には、この言葉を発っする相手の様々な心理があると思います。
相手を選び、耳を傾けましょう。
カウンセラーはあなたのためを思っての言葉は発っしない
さて、私はこの言葉使ったことはありません。
「あなたのためを思って」。
決して思っていないわけではないのですが、私は自分の意見を押し付けたくないのです。
「あなたのためを思って」ではなく
その先のリスクを一緒に考えます。
その行為、行動の先に何があるか?
人生の選択権は本人にあり、私にはないのですから。
高リスクと分かって選択されるのでしたら、それは、選択責任の問題なのです。
カウンセリングにおいても、カウンセラーはご相談者様の人生の選択責任は取れないのです。