親への復讐心からの反社会的行動
親のために生き辛い思いをしてきた。
その親に復讐してやりたい。
親を困らせて、親に生き辛い思いをさせてやりたい。
このような思いを、持ち続けておられる方もおられると思います。
親に対する復讐動機の反社会的行動からでは自立は出来ない
断言します。
親に対する復讐動機からの行動では、自立は出来ません。
親への復讐動機で一番危険なことは、ぐれる、ことです。
その代表が、反社会的、非社会的な行為行動、もしくは、人に迷惑をかける行為を行うことでしょう。
私は基本的に人が何をしようが自由であると思っていますが、人に迷惑をかける行為をOKとは言えません。
法、公序良俗は守ります。
さて、なぜ親への復讐動機の行動から自立が出来ないのか?
それは、自立とは、自分の行動については、自分で考え、責任を持って行うこと。
すなわち、主体的に考え、行動を推進、さらに行動責任を取ることであると、考えているからです。
(お金を稼ぐ、稼がない、経済的なことではなく、精神的、心理的なことを指しています)。
(また、責任と書きましたが、罪罰を意味しているのではなく、自己行動の評価をきちんと行い、改めることは改め、認めることは認める。これが私の示す行動責任です)。
親を困らすために、人(他人)に迷惑をかけても良いという等式は不成立。
親に対する復讐動機からの反社会的行動は自分勝手過ぎます。
問題を起こすと、自身が公的機関に罰せられます。
しかし、親への復讐動機からの行動が、自立へとつながる例外もあります。
それは、他者に迷惑をかけた行動を、深く反省して、その、償いを積極的にする時。
この時は、過去の自分の行動を深く反省して、次に自分は何を成すべきか主体的に考え、社会的な奉仕行動や、社会とのつながりを積極的に行う等、他者や社会、秩序を大切に出来た時、自立へつながっていくと考えます。
また、反社会的な行動の最中でも、心ある人と出会うことによって改心したり、さらには、人に感謝される行動を取れるようになっていくと、人生の展開も変わり、自立への道が開けていくでしょう。
自立とは曖昧な言葉かもしれませんが、自分が何らかの行動をするということは、必ず、人に反応や影響を及ぼし、その反応、影響は自分に返ってきます。
その自分に返ってきた反応、影響を、自己が認識、改心、行動変容、この連続により、自分を変えて行くことは、可能ではないでしょうか。
こう考えると、自立とは常に現在進行形であり、常に自己との対話を大切に行い、自分をチェック。
そして、自立とは生涯をかけて発展していくものかもしれません。
最初は親への復讐動機から行動しても、自立にたどり着くことは可能です。
でも、そのためには、自己反省能力が要求されるように思います。
さて、敢えて親への復讐動機から、反社会的、他者への迷惑行為を行おうと考えているのであれば、即刻、考え直してください。
そもそも、そのような行動、行為は自分を大切に出来ず、自分を傷つける行為につながります。
親への復讐動機から、自分を損ない、自分を傷つけてしまっては、何にもなりません。
それよりも、親は放っておいて、自己の人生に専念してください。
そして、暖かい他者との触れ合い、出会いを大切にしてください。
自分が変われば、周りも変わります。
出会いがあれば、人生も変わり、運命すら変えるほどの強力な力を、あなた自身が持っていることを忘れてはなりません。
きっと、今までの生き辛さが報われ、変わることが出来ます。
可能性の扉はいつも、開かれているのです。