自分に興味がないと人に興味がない
私は会社入社時まで、人、他者に興味がありませんでした。
人が何をしようが、どう思っていようが、興味がなく、私には何も関係ないと思っていました。
とくに大学時、この傾向は強かった。
そして、他者に興味がないと同時に、自分にも興味はありませんでした。
大学では誰とも話さず、髪はボサボサ、鏡を見ることもなく(自己嫌悪?)、服は高校時のカッターシャツを来て登校、人からの視線はまったく気にせず、1人を満喫していました。
自分に興味がないと人にどう思われてもどうでもいい
Index
1.自分に興味がないとは人にどう思われようがどうでもいいこと
2.人間関係を築くためには自分と他者に興味を持つこと
1.自分に興味がないとは人にどう思われようがどうでもいいこと
ではなぜ私が自分に興味がなく、他者にも興味がない青年になってしまったのでしょうか。
ここには親子関係の問題が存在します。
親より理解されなかった私は、無意識的でしょうが、自分は価値のない人間と思い込み、好きな事もさせてもらえず、押し付けばかりの習い事をさせられ、人生や自分に興味を失い、自己抑圧。
また、親との会話のなさから他の子供たちと会話をするスキルも学べず、人間関係を築く方法も分からず、結局、社会不適応者として、1人でいる方が楽だったのです。
自分には価値がないという思い込み、また、生きているつまらなさを感じ、同時に、人間に対する興味もなく、他者に対してもどうでもいい、関係ないと思ってしまったようです。
まして私は、親から自分を守るために「近寄るな」という雰囲気をまき散らす、防衛法を取ったため、他者に対しても「近寄るな」という雰囲気をまき散らしていました。
自分から人を避け、他者も私を避け、結局は1人。
1人で結構。
しかし、このような私でも不思議な行動を取ったことがあります。
それは、大学時、社会人テニスサークルに入ったことです。
もちろん、私の性格では、人に対してどう振る舞って良いか分からず、2ヵ月も、持ちませんでしたが・・・。
親の影響より自分に興味がなく、人に興味もない青年になったと書きましたが、なぜか、子供時より、私は人が好きなところもあるのです。
私固有のこの気質は、親からの抑圧により、芽が出なかったのかもしれません。
そして、今の私は1人が好きですが、人嫌いではありません。
さて、大切なことですが。
2.人間関係を築くためには自分と他者に興味を持つこと
人間関係を築くには、他者に興味を持つ必要があります。
興味がないと会話が続かないでしょう。
会話が続かないと、相手を理解することが出来ません。
また、自分を知ってもらうこともないでしょう。
そして、同時に自分にも興味を持つこと。
自分の好きなこと、興味あることを遠慮なくすること。
自己の存在を認めること。
何かが出来る自分を認めるのではなく、その、存在を認めるのです。
自分を認められないと、他者を認めることは出来ないでしょう。
自分という人間を認めて、意識して、はじめて人を意識する。
自分を意識するということは、他者から自分がどう見られているかを意識すること。
そうすると、身なりを整え、人に対して不快感を与える振る舞いは意識的に控えるでしょう。
残念ながら青年時の私は、親からの抑圧の結果、自分に興味が持てず、他者にも興味が持てませんでした。
自分も認めず、他者の存在も意識することもなく認めず。
世捨て人のような青年だったと思います。
自分を認められないと、他者を認めることも出来ず。
結局、他者はどうでもいい存在となり。
自分自身も誰とも分かち合うことが出来ず孤立化してしまい。
結局のところ、自分も他者も、どうでもいい、興味がないとなってしまうこともあるのです。
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