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愛情を求めながら回避する傾向の心理

人の愛情、気持ち、関心を求めながらも、人を回避、愛情を回避する傾向の人はいます。
その逆に、依存傾向が高く、常に愛情を確認しなければ、落ち着かない人もいます。

さて、私はどちらかというと、回避する傾向が強かったと思います。
それは、親子関係に根があり、人から傷つけられることを防ぐために、人を避けていたのです。

大学時代はまったく1人で居ましたが、苦痛はなく、楽でした。

おそらく、子供時より自分の心を開いたことが少なく、聞いてくれる人もなく、人に自分のことを理解してもらうこと、分かってもらうことを期待しない性格になってしまったのでしょう。

愛情を求めつつも回避する否定される恐ろしさ

Index
1.愛情を求め過ぎる傾向と愛情を回避する傾向の根幹は同じ
2.否定について考える

1.愛情を求め過ぎる傾向と愛情を回避する傾向の根幹は同じ

さて、常に愛情を求める過ぎる傾向と、愛情を回避する傾向。
根っこは同じだと思います。

常に愛情を求める場合は、子供時から得られなかった、その愛情を成長しても強く求めている。
そして、回避する場合は、愛情を求めていたけど、愛情を求めることを諦めた。
「どうせ」求めたところで、否定されるだけ。
だったらやめておけという心理です。

愛情を求め過ぎる、愛情を求めることを回避、人との関係性に執着する、人と親しくなることを回避する。
これらの共通点は否定に敏感であるということでしょう。

大切、重要な人から否定された場合、愛情を求めすぎる人はさらに愛情を求め、その人にしがみつくかもしれません。

対して、愛情を回避する人は、少しでも自分を否定しているというメッセージを感じた場合、さっさとその人と距離を取り、離れていくことでしょう。
諦めることは早く、期待を手放し、傷つくことを避けるためです。

2.否定について考える

さて、「否定」という言葉を使いましたが、本当に相手が自分のことを「否定」したのかどうか、よくよく考える必要もあります。

ちょっとしたことでも、何でも、自分の思い通りに相手が動いてくれないと、「否定」として捉えてしまうと、人間関係破綻します。
相手には相手の都合があります。

自分の瞬間的に動く、気持ちが何か、それを冷静に分析して、子供時からの習慣、クセに引っ張られないようにしましょう。

愛情を過剰に求めすぎる人は、「淋しさ」を訴えるかもしれませんが、いかにその淋しさに対応するか、自分の問題としてどう捉えるか。

また、愛情を回避する人は、何でも否定されたと捉えず、諦めず、否定を恐れず、自分の本当の気持ちを表明し続け、人との相互理解を深める努力が必要でしょう。

客観的に考えて自分が否定された根拠を明確にする必要もあるでしょう。

過去、親から理解され続けられなかったとしても、今の自分の周囲の人が、親と同じとは限りません。

必ず、自分のことを理解して受け止めてくれる人も現れるでしょう。
この経験体験を積んでいくと、人を回避、愛情を回避する傾向も改善されるのではないでしょうか。

さて、冒頭に戻りますと、私は回避系だったと思います。

実は私は人好きな面もあるのですが、何か面倒なことに巻き込まれたり、傷つくことを恐れている面はあると思います。また、職業上孤独にならざるを得ないところがある気がしています。(人の秘密に関する仕事のため)。
これは、私の思い込みかもしれませんが。

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