可能能性を求めすぎると可能性を失う
私たちが生きるためには、夢や希望が必要な時もあります。
そして、この夢や希望の実現に向けて動くことを、可能性を求めると言葉を変えてもいいでしょう。
さて、可能性、とくに若い人は、可能性を求める人が多いのではないでしょうか。
アレも、コレも、と様々なことが出来てしまうような万能感。
しかし、可能性をたくさんのことに求めすぎてしまいますと、可能性、それじたいを失ってしまうこともあるのです。
可能性を求めすぎると時間との関係上何も達成出来なくなる
私たちが可能性を実現するには、時間が必要です。
したがって、可能性を求めすぎると、時間がなくなってしまうのです。
可能性を実現するには、まず、1つのことに徹底的に取り組むことではないでしょうか。
そのうえで、今行っていることについて、どうも成功する見込み、可能性がないと判断されるのでしたら、次の可能性を探されれば良いと思いますが。
1つのことに対する取り組みも浅く、中途半端でさじを投げ、次の可能性を求める、または、この行為を繰り返してしまいますと、可能性、それじたいを失ってしまうのです。
可能性、夢を叶えたいのであれば、懸命に取り組んだうえ、納得して、可能性の方向を変えた方がいいでしょう。
そのためには、前回求めていた可能性の追求から、得たものを少しでも活かせる、新たな可能性を求めた方がいいかもしれません。
これは、以前可能性を求めていた知識、スキルが使え、経験体験も活用され、次の可能性の達成、成功に大いに役立つのではないでしょうか。
しかし、以前、可能性を求めていた内容のことは、一切自分に合わない、方向転換をするということでも、それは、以前の可能性を追求した後の自己理解を培った後の、学習の結果なので問題はありません。
可能性を求めすぎることの一番の問題は、アレも、コレも、と手を出し過ぎて、結局、何1つ、成果を出せなかった場合です。
可能性を求めれば求めるほど、可能性を失う。
気がつけば年だけを重ね、時間と気力を失い、虚しさしか残らない現実を招くことは避けたいものですね。