寛容と客観性|日本在住の外国人の接客より学んだこと
客観的に広い視野で物事判断する大切さ
人が人に対して寛容であるためには、自己の主観、べき論、自己中心的に他者を判断することなく、他に見方はないか等、他者を客観的に見て判断、または、他者の立場に立って考える知性が、必要と思われます。
まぁ、客観性は推測に過ぎない時がありますが・・・。
先日、ファスートフード店で、牛丼を注文したのですが、その時の接客に不快を感じました。
私は、「牛丼」と言って注文したのですが、店員はしばらく私の方をずっと見て、「並みですか?大盛ですか?」と尋ねてきました。
店員が言葉を発する間が、何とも言えず不快、笑顔もなく、私の顔をじっと見る。
何なんだ、こいつは、と感じていました。
しかし、その後考えました。
彼はバイト慣れしていないのではないのか?
もしくは緊張していた?
いや、彼は日本人ではないかもしれない。
日本人でなければ、日本民族の間、間の感覚も、分からないかもしれない。
通常日本人が接客をしていれば、間髪入れず、「並みですか、大盛ですか」と尋ねてきます。
私が今回経験した、あの居心地の悪い間は、そこにはない。
その後、彼が注文の品を持ってきてくれたので、その時、彼のネームプレートを見ると、やはり日本人ではなかった。
接客はこうあるべきという私の主観、べき論、自己中心性が、彼に対する不快感、寛容の欠如へとつがったのでしょう。
そして、彼の立場に立って考える、思いやりの知性も働かなかった。
この不快感は私の彼に対する反応であり、反応した私の問題となります。
彼が何かミスをしたわけでもなく、私が彼の接客態度が気にいらなかっただけなのです。
寛容は大切です。
人間関係を円滑に進めるためにも、寛容性が欠けていると、厳しいだけ、冷たい人と思われてしまうでしょう。
また、自分が何か不快な感情を感じた時は、他に見方はないか、考え方はないか、相手の立場になって考えてみる等、客観性を働かせることは大切です。
これぐらいのこと、分かってはいるのですが、日々の実践は簡単ではありません。
私も単なる、1人の人間ですから、書くことは書けても、日々、実践となると、なかなか難しい。
日本も国際化の時代に入り、他国の様々な方が日本国内において働いて頂く時代に突入しています。
祖国が違うと、考え方、捉え方、感覚等、まったく違い、接すると違和感を感じるかもしれませんが、それは、国民気質の違いゆえ。
視野を広く、客観的思考を持ち、理解をする必要がありそうです。
このこのとは、我々日本国民同士でも同じです。
そして、寛容であれ。
店を出る時、笑顔で彼に「ありがとう」と言ってみました。
彼も少し笑顔で、「ありがとうございました」。
慣れない日本で、緊張もあったのかな?