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生きてきた時の流れ|時間とつながっていない孤独感

時の連続体とつながっていない感覚はアイディンティティの問題に発展する

人が人とつながらない孤独、孤独感は誰でも感じるものだと思います。
今は孤独の社会とも言われています。

さて、今回のテーマは、時間とつながっていない孤独感。
分かりにくい表現と思いますが・・・。

一般的に人とは、この世の生を受けた後、様々な体験を通して、それが、脳の記憶として、記憶の連続体として、今の自分があると思います。
すなわち、脳内において、過去の記憶の連続体と、今の自分とは通常はつながっているのです。

ところが、私の場合。
過去の記憶がところどころ消えており、記憶が脳内に保存されていない。
今の自分に、過去が、ところどころ、ないのです。

(実際、生きてきたのですから、何かはしていたのでしょうが、ただ、記憶がない、もしくは、定かではないのです)。

子供時は親子関係との問題、48歳時より得体のしれない、不安神経症。ホルモンバランスの乱れ、更年期障害、仕事への意欲と自分の体の状態の不一致、いらいら感の継続、僻地での閉塞感等、ここ数年の記憶も、どうも今ひとつ、明確ではないのです。

子供時と48歳以降、共通していることは、望まない状況に置かれ、その状況、状態に自分自身が適応出来なかったことです。

また、職業アイディンティティにしても、23歳~37歳までは、金融関係で勤務。
その後、就職支援カウンセラー、自営の心理カウンセラー。

しかし、この職歴においても、金融関係時の仕事内容等、あまり記憶がなく、今ひとつ、どのような仕事をしていたのか思い出せないのです。

(実は私は数字が苦手であり、仕事内容そのものが自分の能力特性と一致していなかったのだと思います)。

その後就いた、就職支援カウンセラーとは、全く前職とは質的に関係性のない仕事です。

職歴が全く違う(仕事内容)キャリアも、時間の連続体の感覚がなく、時間とつながっていないような感覚を感じてしまいます。

さて、人とは、過去の連続体により、自分を統一、構成しているとすれば、私の場合、過去がプツン、プツンと切れて、今存在してる感覚です。

それは、記憶、職業、置かれている状況、状態等。

過去の連続体がないので、自分とは何なのだろうか、分からない時があります。
もちろん、今の自分が何をしているのか等、意識レベルでは分かっているのですが。

通常は、時の流れ、その時々の自己の発揮においてアイディンティティは形成されるのでしょうが、その、時々、まったく違う体験、経験をすると、自分とは何か、時間の流れとともに継続する自分が希薄になってしまうのです。

過去とのつながりが、ところどころ切れていますと、やはり、「自分とは何」と言う思考面における孤独、アイディンティティの混乱、同時に感覚面における孤独を感じます。

したがって、都度、自分を創りなおさなければならないと、なるのです。
自分とは何者か、アイディンティティの再構築が必要となるのです。

過去の記憶が途切れるということは、人生をリセットすることにもつながります。
そして、新しい自分を創っていく。

もちろん、そこには、記憶が定かではない時の、感覚的な経験や思いも、その時々の体験、経験を通して、何らかの知恵を私に授けてくれているのかもしれません。

過去の時間の連続体による記憶の連続がないと、人とは自分とは何者かの問いにおいて、一貫した自己の保持のなさより、孤独を感じ、新たな自分を創ることに、エネルギーを注ぐしかないと考えます。

でも、どのような経験でも、私の場合、出来事の記憶が希薄でも、感覚的な記憶は残っており、これらは、必ず、今後の人生に活かすことか出来ると、信じたいと思っています。

しかし、私のこの人生の流れ、これは運命的なものなのでしょう。

尚、私はアイディンティティの再構築と、言葉を使いましたが。
この事に、本当はこだわらない方が、楽しく生きることにつながるかもしれません。

その時々、時々の流れに身を任せ、最善を尽くして生きる。
それだけで、良いのではとも思っています。

しかし、私の気質、性格でしょうか。
私は私を、どうしても問うてしまうのです。

したがって、アイディンティティを重要視するのだと思います。

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