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からかい・いじめ・差別|人間特有の心理と問題

私たちは、なぜ、からかい、いじめ、差別等の行為を行い、人の心を傷つけて喜ぶのでしょうか?

それは、遺伝子レベル(私の仮説)、発達した脳における邪悪な知性、現代の経済疲弊社会を生きる、ストレス発散行為なのでしょうか?

私たちは、大人も子供も、自分を基準(思考、感覚の判断)として、見かけ、話し方、雰囲気、キヤリア、能力等が劣ると判断した人を、からかったり、いじめたり(個人、集団でのいじめ)に及ぶことが、多々あります。

からかい(まだ、親しみを持った冗談であれば良いのですが)、バカにしたようなからかい、そして、嫌がらせ、陰口(スマホ、SNS、LINE等の活用)、必要な情報を与えない、仲間はずれにする等の行為において、快感を味わい喜ばれている人達がいます。

これらの行為は、「いじめ」、「差別」です。

目次

からかい・いじめ・差別は人間特有の問題か

1.なぜ人はいじめ 差別行為をするのか・人間の残忍性

人とは、皆、各々個性があり違いが生じるのが当然なのですが、その「差」を、どうも、許容出来ない、不寛容が拡大しいてるようです。

許容出来ない、不寛容な心理は、感覚的に分からないわけではないのですが、
それを、からかい、いじめ、差別において、相手の心を傷つける心理は、私には理解出来ません。

私は博愛主義ではありません。
ただ、「私は私、人は人」と思って生きています。
したがって、違いは違いであり、それは、それで良いと考えています。

私にも、感覚的に許容が難しい人達は存在します。
でも、それは、私の許容力の問題であって、彼らを悪く言ったり、排除しよう等、考えることはありません。

さて、私たちは、なぜ、自分より劣る、気に要らない人達等、からかい、いじめ、差別するのでしょうか。

大人は、それは悪い事と認識しているが、現代のストレス社会、その、ストレス発散の目的もあり行ってしまう傾向があるようですが、これは、他者の心を壊して喜んでいるのですから、人間性、及び、人権侵害の観点より考えても、何ら正当化出来ないでしょう。

大人は、ストレス発散のために、自分より下とみた人を、からかい、いじめを行う。

では、子供のからかい、いじめ、差別は、なぜ起こるのでしょうか?

子供も多々のストレスを抱えており、その、ストレス発散のために、いじめを行うのでしょうか。

私は、人間とは、そもそも、本質的には、傲慢で残忍性を伴う生き物と考えています。

2.人間以外の動物はいじめを行わない

他の動物を思い描いてください。
彼らは、からかい、いじめ等の行為を行うでしょうか。

動物達は、雄どうしが雌を巡り争う、ライオンの群れのように、戦いにやぶれた雄は群れを追われます。
また動物達は、食用として他の種の動物を襲う。

これらは、いじめという行為ではありません。

自己の生存と、種の保存の為の、本能的な行為なのです。

雄が雌を巡って争うのは、強い雄が、強い種を残すため、負けたライオンの雄が群れから追放されるのも、強い雄の種(子孫)を残すための、強い種の繁栄を目的とした、本能的行為なのです。
また、食用とする為、他の種の動物を襲う、これは、生きるため、生存本能の行為です。

したがって、人間以外の動物には、からかい、いじめ、差別は存在しないのではないでしょうか。

こう、こう考えると、人間とは特殊な生き物なのかもしれません。

3.集団(自己)の力を示すため(からかい・いじめ・差別は始まったのか)

からかい、いじめ、差別。

実はこれらの行為は、人間の進歩の過程と、同期して起こっているように感じます。

そこには、私たち人間の歴史は、「力への欲求」「優越への欲求」を、常に求めていた。
この力、優越とは、富と利です。(言い換えれば、自分達「あるカテゴリーに属する集団」のみが繁栄すれば良いというエゴです)。

民族、地方、領土、国家レベルにおいて、利を求めるため、常に「力」を強固にする必要があったのではないでしょうか。(力とは軍備も含め、そして、利、富を求めるのです。言い方を変えると奪い取るのです。人間独特のエゴ)。

そして、利を求める為、他の民族、領土、国に侵入、勝者は敗者を奴隷扱い、いためつけ、喜ぶ。
私達、人間は、この連鎖をずっと繰り返してきているのです。
(今の先進国ではあり得ませんが、発展途上国等では、いかがでしょうか)。

勝者はおごり高ぶり、傲慢、残酷、残忍性を思う存分発揮する。

もしかすると、人間(ホモ・サピエンス)誕生以来の傲慢で残酷、残忍な遺伝子を、私たちは持ち、受け継いでいるのではないか、そう思ってしまうこともあります。

(この遺伝子については私の仮説です。すべての人が保持しているのかどうか分かりません、また、すべとの人が保持していたとしても、その遺伝子による、傲慢、残酷性を発動する強さ、発動するか否かの程度は、人によって様々なのかもしれません。それに、そもそも、傲慢性を伴う、遺伝子はあるのでしょうか?。私の仮説です)。

また、これも私の仮説ですが、人間は進化と同期して、傲慢、残酷、残忍性の邪悪な知性(遺伝子ではなく)を、私たちのエゴのもと、正当化、発達させていったのでしょうか?
人間独自の脳と進化が、傲慢、残酷、残忍性をもたらしたのでしょうか?

人の傲慢については、何回か当HPで書いていますが、人の成長とは、自己の経験を主として成長するため、自己中心性にならざるを得ないのです。
そして、その、自己中心性が行き過ぎると、傲慢と化すのです。

そして、傲慢と対を成す、人の残酷性、残忍性は、何を起源としているのでしょうか?

私は先ほど、祖先代々、人の遺伝子レベルと私の仮説を書きましたが、それ以外にも、成育歴において、問題がある場合もあるでしょう。

4.思いやりのない親の養育の問題から生じるいじめの問題

愛情のない家庭、親からの無視。
これらの家庭では、子供が人としての優しさ、思いやりの学習、習得は当然出来ません。
私は優しさ、思いやり、良心、良識も人間独特の知性と考えています。

自分が親から受けたことを学習、知性を発展、学校、組織等において、当然のごとく、行動化に移す可能性も高いでしょう。
(人とは学習の産物でもあります、そして、残念ながら、人をいじめて喜ぶ知性が存在してもおかしくありません)。

親に問題がある家庭であるならば、思いやり、優しさ、人としてはいけない事等、地域で子供を育成する、学校で学ぶ等、様々な方法もあるでしょうが、それは、今の時代感覚では無理なことなのかもしれません。

(自分達が生きることで精一杯、地域云々と言われても困る等、地域間住民の付き合いの希薄さ)。
(また、学校入学時には、子供の性格基盤はほぼ完成しており、他者をいじめて喜ぶ知性の子供の再教育の時間は、今の学校体制では難しいような気がします)。

思いやり、優さの感覚、感性、知性の基盤は、子供時、人生早期に学ぶ必要があります。

学校(小学校)に進学してからでは、遅いのかもしれません。
その根拠は、学校でいじめが蔓延していることを、論拠としたいと思います。
但し、脳の柔軟性から考えると、改善はまだまだ可能でしょう。

さて、人の傲慢、残酷、残忍(からかい、いじめ、差別)が、人間の本質(遺伝レベル)の影響、社会生活上におけるストレスの発散の目的があったとしても、やはり、思いやり、優しさ、他者配慮を維持、大切にされている方も多々おられます。

大人でも、子供でも。

おそらく、それは学習された、思いやり、優しさの知性、感覚を大切にされておられるからでしょう。
良識と良心を大切にされておられるのです。

私たちの学習してきたこと、良心、良識、優しさ、思いやりの知性は、人間性に反する行い(例え、遺伝子レベルの人間独特の本能的行為があったとしても)を、封じ込める力もあるのではないでしょうか。

からかい、いじめ、差別。
人が人を傷つけ、喜ぶ心理。

さて、これらの非人道的な心理の背景には、集団、体制の維持、強化の意識的、無意識的目的の心理が働いているのかもしれません。

関連ページ:集団体制を維持目的とする為のいじめ 差別

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