子供が苦手・嫌いな人の心理と要因・自己抑圧的な人の子供を嫌う傾向
子供。
子供といっても年齢の幅が広いので、今回は幼児(幼稚園児、小学生)を子供の定義として書きたいと思います。
さて、私は子供が苦手、嫌いと感じられる方の心理として、個人的要因3つと、社会的要因1つをあげたいと思います。
子供が苦手嫌い 様々な心の事情
Index
1.自分を抑圧・感情を抑圧をしている人は子供を嫌う傾向がある
2.社会的規範・秩序・倫理・ルールを遵守
3.子供はうるさいという思い・聴覚の問題
4.地域と子育て
1.自分を抑圧・感情を抑圧をしている人は子供を嫌う傾向がある
子供は周囲の環境に合わせて、自己を抑える・自己制御を学ぶ途中の段階であり、したがって、自分の感情、生命エネルギーを全開にして、はしゃぎまわるものです。
しかし、その子供に対して苦手意識を持たれている方は、おそらく、自身が子供時、親子関係等において何らかの理由で、強い自己抑圧を強いられ、大人になった今も、自分の感情等の発散を抑圧、閉鎖。その抑圧感より、子供という、自分を解放する存在である子供とうまく付き合えない、遊べないと考えることが出来ます。
子供は感情、エネルギーを全開、対する子供嫌い、苦手な大人は、感情、エネルギーの解放を抑圧。
正反対の存在なのです。
この相反関係では、相性の良い関係性を築くことは難しいでしょう。
子供が嫌い、子供が苦手な人の心(意識)を抱いている人は、実際に子供と遊ぶ(関係性を持つ)機会、経験も少なく、子供との付き合い方を学んでいない方も多々おられるのではないでしょうか。
また、人とは自分が自分に禁止していることを、他の方がその事をすると不快感を抱くもので、自分が感情解放を禁止されてきた人にとっては、例え相手が子供にせよ、感情解放を爆発させる、理解不能な存在となることもあります。
2.社会的規範・秩序・倫理・ルールを遵守
社会的規範を強く守る人。
秩序、規範、ルールを守ることを第一と考えといる人にとっては、子供とはやっかいな存在かもしれません。
それは、子供には子供の成長段階があり、幼児、小学生に対して、社会規範、秩序、倫理、ルールを守れといっても、子供には理解出来ない傾向があるのではないでしょうか。
(当然、子供も成長とともに学んでいきますが)。
また、社会の秩序、規範、ルールを重んじる人は、自己のテリトリーを守り、どちらかというと堅物、柔軟に物事対応しにくい傾向があると思います。
そして、感情よりも論理を優先、思考優位型の人とも言えるでしょう。
しかし、子供とは大人の予想出来ない、突飛な行動を取る。
(これは、子供の冒険心、発想力を伸ばすためには、必要なことなのですが)。
堅物の大人からすると、ルール違反と解釈。
子供に対して威嚇、怒りを示すかもしれません。
また、子供の話しには突飛なこともあり、論理を重んじる人にとっては、何を話しているか意味不明、子供とは理解不能、エイリアンと映るかもしれません。
しかし、おそらくですが、あまりにも、社会規範、秩序、倫理、ルールにこだわる人は、自身が子供時、厳し過ぎる親に育てられ、その厳しさが身に付き、それが、社会性の高さ(社会における振る舞いにおけるべき論)へと結びついているのかもしれません。
3.子供はうるさいという思い・聴覚の問題
子供とは元気に大声を出し、騒ぎ、遊び、エネルギーを発散するものです。
しかし、この大声が癇に障るという方もおられることでしょう。
例えば、家でゆっくりしていたいのに、外で子供が大声で騒いでいる。
「うるさい」と、外で遊んでいる子供に、怒鳴られる方もおられるかもしれません。
これは、難しい問題です。
人は静かに暮らす権利もあり、大声で騒ぎたてるのは者はマナー違反と判断することも可能であるからです。
しかし、相手は幼い子供、元気一杯なので仕方ありません。
この問題のさらなる深刻化は、うるさいと思った対象に対して、人はより注意集中するものです。
したがって、子供が静かにヒソヒソ話して通りを歩いているだけでも、子供に対してうるさいという反感をお持ちの方は、注意集中(過敏)になり、やはり、子供に対してうるさい、苦手、嫌いというお気持ちになられることもあるかもしれません。
私はこの問題に対して、子供に対して寛容になりましょうと言える立場の人間ではありません。
私も聴覚過敏のところがあり、うるさいのは苦手です。
したがって、抜本的な解決策はなかなか思い付きません。
4.地域と子育て
さて、子供が嫌い、苦手な人の心理について書いてきました。
これは、個人的な心理状態、思いなので、子供嫌いの人に、「子供を好きになりましょう。彼らは将来の日本を背負う立場にあるのです」等。
説明したところで、「嫌いなものは嫌い」、「生理的に受けつけない」等の反発心を高めるだけでしょう。
ただ、1つ言えることは。
昔と違い、子供を地域で見守る、育てる文化概念が、今の日本にはないのではないでしょうか。
保育園、幼稚園の数が少ない。
つくればいいじゃないか。
しかし、我が家の近くにはつくるな等。
私は引っ越し族でマンションに住んでいますが、隣にどのような人が住んでいるか知りません。
また、興味もなく、知りたくもありません。
私は私の静かな生活を守りたいだけです。
面倒なことには関わり合いたくない。
これは私の例ですが、日本人も個人主義化が進み、多くの人が、地域、近所等の関わりが少なくなってきているのではないでしょうか。
これは解決すべき問題なのか否かと問われると、何とも言えないのですが。
子供と接する機会が少ないため、子供と仲良くする機会もなく、地域住民の交流の希薄性が、子供はうるさい。
静かにしろ。
という、発想、感覚が強化されている可能性も否定出来ません。
自分を抑圧する傾向のある人、社会性の高い人、規範、秩序、倫理、ルールを重んじ過ぎる人も、子供と触れ合う機会があれば、子供に対する理解も図れ、感覚的に抱く、子供に対する嫌悪も薄れ、子供とは案外いいものだと思えるようになるかもしれません。
そして、自身が幼児期、子供時、親の厳しさより、心を抑圧してきた人にとっては、子供と接することによって、自身の心の解放につながるかしれません。
また、子供も近所のおじさん、おばさんと接することから、模範的な社会性が身に付いたり、社会の断片を知るきっかけになったり、また、昔の日本の在り様を学習するきっかけになるかもしれません。
実は、正直に書くと、私も子供は苦手、嫌いです。
子供時代を子供として過ごせなかった私としては、心理的には当然であると認識しています。
しかし、本当は子供を通して大人も学ぶことは、多々あるのでしょう。
また、子供も大人を通して学ぶことは多々ある。
少子化現象、地域の人々との交流の希薄さから、子供と触れ合う機会が少ない現状も、地域における、子供と大人の関係性の分断につながっているように考えます。