自己喪失感|自分を大切に出来ない人達
現代の社会風潮、心の悩みを見て感じることは、自分を持っていない感じの人が多いという感覚です。
自分を持っていない、これを、具体的な言葉で書くと、「自分が自分のことを分かっていない」、「自分が自分のことを理解していない」、「自分が自分とつながっていない」。
このような感じのことです。
私はこれを、「自己喪失感」と呼んでいます。
「自己喪失感」とは、現代の心の病、心の問題とも言えるでしょう(実際には精神疾患の定義にはありませんが)。
すなわち、自分を見失っており、不確かさの自己感覚。
そして、他者優先により、自分を大切に出来ていないとも思えます。
「自己喪失感」とは、このような感覚、言葉にも置き換えられるでしょう。
では、何が現代の心の問題、「自己喪失感」をもたらしているのでしょうか。
なぜ、他者優先であり、自分を大切に出来ないのでしょうか。
その原因と、問題(症状)等に書かせて頂きます。
自己喪失感をもたらす様々な社会心理の要因
1.社会からの押し付け・強制と禁止
私たちは人生早期より、親、学校、大人になっても、会社、他者、社会風潮等より、様々な圧力を受けて育ち、生活します。
これには、強制(~~しなければならない)と、禁止(~してはいけない)の2つに大別できます。
しかし、これらの強制と禁止は根拠が薄く、時代背景によっては、不可能なことを一律に求めているように思えてなりません。
例えば
・明るくしなければならない
・友達は多くなければならない
・親孝行しなければならない
・勉強が出来なくはいけない
・スポーツが出来なくてはならない
・正規職に就き働かなければならない
・就職後は昇級しなければならない
・皆と同じ様にしなければならない
・結婚しなければならない
書きだすと、きりがありません。
とにかく、私たちは、親、学校、会社(組織)、人間関係、社会風潮より、得体の知れない価値観に基づく(納得出来ない価値観より)様々な強制と禁止を受け、私たちは自分を発揮出来ない時代に生きています。
これらは、自己抑圧をもたらし、当然、自己の自由も多少なりとも奪われ、「自己喪失感」の大きな要因となっているでしょう。
集団からの有言、無言の価値観の押し付け、圧力は、個を破壊してしまうこともあるのです。
また、望まない人生をおくることにもなりかねません。
これは、自分を大切に出来ていないことと同意なのです。
2.同調圧力(仲間はずれにされる恐怖・いじめに対する不安)
同調圧力。
最近はSNSの発展とともに、よく耳にする言葉です。
しかし、同調性、すなわち皆と同じが一番という日本人の感覚は、私の人生において認識する限り、昔からありました。
「寄らば大樹の樹」、「長い者にはまかれろ」、「出る杭は打たれる」。
何か大きな勢力(集団)に対しては、反発心等を抑え、目立つ行動は避け、自分を抑え、合わせる。
これも、強制と禁止が関係しています。
同調性そのものが個の尊重を奪い、他者との同化、同調性を強制するのですから、その圧力が、「自己喪失感」に影響することは、間違いないと思います。
そして、さらに、同調しない者に対しては、悪口、仲間はずれ、いじめ等の制裁を科す、陰湿極まりないのが、行き過ぎた同調性です。
同調出来ない人は、犯罪者の如く、誹謗、中傷を受けることもあるでしょう。
しかし、人はなぜ、そこまで同調性にこだわるのでしょうか。
それが、社会規範とでも思われているのでしょうか。
私が思う正しい社会規範は、個の尊重です。
(但し、公序良俗、法を守る必要あり)。
また、同調性にこだわる人は、本当は同調したくない年頃(経験)もありましたが、穏便に生きるため、しかたなく同調。
そして、時が経つにつれ、同調するのが当たり前と、価値観が変わってしまったのかもしれません。
行き過ぎた同調性、同調圧力は個の尊重には至らず、同調を優先するあまり、「自己喪失感」、「自分を大切に出来ない」、原因となるでしょう。
3.空気を読むという日本人独特の感覚
自己主張より、空気を読み、周りに合わせた言動を重んじる。
日本人、独特の感覚でしょうか?
海外では、自己主張が優先、自己主張出来ない人は、仕事も出来ない人のように思われる風潮もあります。
しかし、日本人の空気を読むという風潮は、他者への配慮、場を乱さない、和の尊重の、良い面も多々あると思うのですが、それが、行き過ぎているのが現代です。
空気を読んで行動するということは、皆と同じ方向を向き、同じ感覚で行動するようなもので、当然、個の尊重や、独自性等は封印されてしまいます。
空気を読み行動することは、同調性と類似性も高いでしょう。
しかし、常に他者や周囲に合わそうと考えてばかりいても、分からないことも多々あり、他者優先は自己軽視、また、他者に敏感になくてはならず、髙ストレスを感じる方も多いのではないでしょうか。
空気を読むことは美徳のような感じもするのですが、それが、行き過ぎると問題化するのです。
他者配慮と自己主張のバランスは必要ではないでしょうか。
それが、他者を大切にして、自分を大切にすることにつながるのではないでしょうか。
4.自己喪失感の様々な症状
では、次に自己喪失感の様々な具体的な症状をみていきましょう。
a)自己否定
親、学校、会社、社会風潮等の権威あると思われる人、集団からの強制、禁止等のべき論を刷り込まれてしまうと、それが、自己、人生等の価値基準となってしまいます。
そして、その価値基準が達成出来ないと、次は、自分を責めることにつながり、あまりにも自分を責め過ぎると、自己否定感が強くなってしまいます。
「自己喪失感」とは、自己否定と大きく関係しています。
それは、自分が自分を否定するのですから、自己に対する喪失感につながるのも必然でしょう。
また、自己否定で悩まれている方は、自己否定を病気と捉える方も多いようですが、これは、病気ではなく、脳のクセのようなものです。
b)自分に興味がない
常に同調性、空気を読むことを第一としますと、自分より他者、周囲の思い、感覚を汲み、合わせることが、生きるために、重要となってきます。
そうなりますと、他者優先より、他者に意識、焦点を合わせ過ぎ、自分に興味がない問題へと発展します。
c)自分が何を感じているのか分からない
当然、他者優先のため、他者の感じていることに焦点を合わせます。
その結果、自分が何を感じているのか分からないとなるでしょう。
もしくは、自己感覚鈍化の現象を招きます。
d)自分が何を考えているのか分からない
他者への配慮を優先するあまり、他者が何を考えているのか考え過ぎます。
そして、他者の喜ぶ行動等を取ろうと懸命になるのですが、実際のところ、他人が何を考えているのか、考えても分からないことは多いでしょう。
現代社会の風潮より、他者を過剰に意識せざるを得ず、自分が自分のことを考えることは後回しとなり、自分が何を考えているのか分からないとなるのです。
e)他者に気を遣い過ぎる ストレス 生き辛い
「自己喪失感」は自分より、他者、周囲を優先することに根源的な問題があります。
自分のしたいように振る舞うこと、自分の意見を言うこと、生きたいように生きていけない、これら自己表現を封じられていては、ストレスも強く、何か分からないけど生き辛いという感覚をお持ちの方も多いのではないでしょうか。
自分を大切に出来るのは自分です。
その自分が自分を大切に出来ないのですから、生き辛さ、ストレスを感じるのも当然だと思います。
5.自己喪失感からの回復のために(個性の尊重と多様性を認める社会)
「自己喪失感」とは、自己感覚の喪失とも、言葉を換えてもいいでしょう。
自分が好きに振る舞えない、発言、発信出来ない。
常に他者に対する意識過剰。
あまりにも行き過ぎた個の尊重は、集団の協調性を乱しますが、行き過ぎた、同調性を求めることは個に対する圧力となり、自由を奪い、生き辛さを招きます。
自己と他者のバランスの問題でしょう。
そして、社会に在り様としては、これが出来なければダメ、こうあるべき等、べき論における強制と禁止を弱め、もっと、自由に人の個性、価値観、生き方、在り方を認めるべきではないでしょうか。
ある基準を物差しとして、人の価値を測ってしまうと、それに当てはまらない人はダメ人間のレッテルを社会、または、その人、自ら張ってしいます。
そして、自分は社会からはずれたダメ人間と勝手に自己にレッテルを貼ってしまうと、自己嫌悪を招くこともあります。
自己嫌悪とは、自分が自分を嫌い、自分を大切にしていないということなのです。
社会で生きる以上、規範、秩序は必要でしょう。
しかし、その中において自由に生きる権利の確立。
(自由を叫びながらも、現代は不自由が多過ぎます)。
同調ではなく協調を大切にしながら、個の尊重を大切にすること。
これが、現代の心の病、心の問題とも言うべき、「自己喪失感」の解決策の1つではないでしょうか。