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気の合わない人に対して自分の問題として考えみる

気の合わない人:原因は自分の問題?相手の問題?

数年前の私の経験です。

例えばにしましょう。

ある組織に属しており(任意団体)、どうしてもそのメンバーの、数人に対して、感覚的、生理的に受け入られない人がいました。

席等を離して、その場にいることも通常は出来るのですが、その任意団体では、それが出来ない空間でした。

そして、その数人の人と私は協調的な振る舞いは出来ず、私自身心理的な苦痛を感じていました。

ある日、その任意団体を辞めようと決意。
代表に私の決意を伝えました。

ここで、問題となるのは。
辞める理由の伝え方です。

私は数人の人と感覚的、生理的に合わないので辞める決意をしました。
そして

「あの人達と一緒にいると、意見も感性も合わず、感覚的に辛い」。
と、いう言い方も出来るのですが、
これでは、私と合わない数人の人を悪者にしているように、私自身感じました。

特段、彼らは悪くありません。
そういう人だなというだけのことです。
ただ、私が受け入れられないだけのことです。

「彼らの振る舞いが愚かで、理解し難く、一緒にいると不快なので辞めます」。
と、言ってしまうと、これは、明らかに、彼らを悪者にしています。

ポイントは、私の感覚、感性が、彼らを受け入れられない。
彼らの存在じたい、悪くないということです。

したがって、私は次のように、代表に辞める理由を伝えました。

「これは、私の問題なのですが、どうしても、私の感覚、感性上、彼らを受け入れることが難しく、一緒にいると心理的に苦痛を感じます。したがって、これは、私の問題であり、私自身解決策も思い浮かばないため、辞めたさて頂きます」。

この、伝え方のポイントは、彼らに問題はない。
問題は私の感性であり、これは、私の問題であると。
ということを強調したのです。

代表からは、「どうして、そのような言い方をされるのですか?自己肯定感が低いように感じます」。

と、お言葉を頂きましたが、私自身、自己肯定感が高い、低いは、問題にしてはいません。

ただ、自分と合わないからという理由で、相手を悪者のように訴える言い方は、私は筋が違うだろうと思ったこと。
他者を自分と感性が合わないからといって、悪者扱いにはしたくなかったのです。

実際に感性が合わないのは問題ではなく、仕方のないことなのです。
だからといって、一緒にいて心理的苦痛を我慢まで、非営利の任意団体にいる必要はないと考えたのです。

そして、相手の人権も大切に、あえて「自分の問題として」と、若干、自分を低くするような伝え方をしたのです。

これは、心理学における、アサーションを重要視したのです。

特段、自己肯定感が低いわけではないのです。

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