お金がないと生きる意味がないのか
お金・収入がないと生きていくのが難しい現実について
私達はお金がない状態に陥ると、生きる意味がないのでしょうか。
または、お金がないと生きる意味、希望を見出すことは難しいのでしょうか。
「そんなことはない」。
「お金がなくても、生きる意味はあり、生きる意味を見出すことは出来ます」。
これが事態の深刻さが分かっていない方の、模範解答でしょう。
さて、「お金がない」。
この言葉の意味を、もう少し明確にしましょう。
お金がないとは、収入がない、貯蓄がないという意味です。
したがって所持金がないのです。
すると、収入がない、貯金がない、所持金がないと、生きる意味がない、生きる希望が見いだせないということになります。
このことを、どう思われますか?
私はその通りと思います。
なぜなら、お金がないとは、住むところが確保出来ない、食べ物が手に入らない、その結果、路上生活、車中生活でいつも空腹、体調が悪くても医者にも行けない。
本当にお金がないと、お金が尽きるとは、このような状態に陥ることではないでしょうか。
人間らしい最低限の生活が出来ていない状態なのです。
このような状態に陥っている人に対して、生きる意味、生きる希望云々を説くことは過酷だと思います。
なぜなら、お金がないために、生きること、そのことが難しい、絶望の状態だからです。
生きるためには、住む場所、食べ物、そして継続安定して入ってくるお金。
この3つは、絶対に必須です。
したがって、生きる意味、生きる希望を見出すためには、まず、自分が生きることが出来る最低限の生活水準状態にならなければ、生きること云々は語れないのです。
そして、生きることが出来る最低限の水準状態を確保して、はじめて人は、再起への熱を燃やし、生きる意味、生きる希望を模索、新たな人生を語りはじめるのではないでしょうか。
お金が尽き、路上生活、車中生活に陥っている人は、まずは、生きるための住む場所と、食糧の確保が絶対に必要なのです。
そして、生きるための最低限の生活水準を確保するためには、「生活保護受給」という行政の支援により、まずは人生の再スタートへとつながるのではないでしょうか。
人によっては、生活保護受給者に対して冷たい視線を向ける方もおられるでしょうが、現代は自分自身も経済破綻を引き起こし、住むところを追われるような、予断出来ない時代です。
しかし、日本の行政(市役所等)においては、生活保護受給希望者に対して無理難題を押し付けたり、誹謗、中傷の言葉を浴びせ、希望者の心をわざと傷つけ、生活保護受給を諦めさそうという空気がまん延しているようです。(この背景には財政の厳しさもあるのでしょうが)。
まさに、国家から「お前は生きるな」と言われているのと同じ意なのです。
これでは、国にも見放され、冒頭の、「お金がなければ、生きる意味、希望がない」、この絶望の心理状態になるのは当然です。
お金がないと生きる意味がない。
お金がないと生きる希望がない。
この言葉を軽くみてはいけないでしょう。
励まそうとの一心のあまり、「生きる意味はまたみつかります」等、軽く言葉を発するかもしれませんが、実際は、目の前の方が、「今後の生活、人生を立て直すにはどうすればいいのか」。
これが、問題解決への最重要ポイントとなるでしょう。
(お金がない問題について、心理職に相談しても、問題は解決しません)。
まずは、地域のNPO等とつながり、相談、住む場所等を確保。
また、生活保護申請受給、生きる為の場と、生きるための収入を確保した後、はじめて、「生きる意味」、「生きる希望」に対して期待が持て、気持ちも前向きになれるのではないでしょうか。
お金を中心とした世界に生きる私達にとって、まったくお金がない、お金が尽きるということは、生きることそのものの難しさに直結してしまうのです。