優しさが裏目に出る時【優しさの我慢と限界】
助けを求められれば放っておけない。
頼ってくる人の期待に応えたい。
困っている人を自分の力で何とかしてあげたい。
そして、親切に接し続けたい。
優しくあり続けたい。
このような、お気持ちゆえに、自分が辛くなり、また、心が傷つくことはあるのでしょうか。
結論から書きますと、あります。
全ては、優しさから出た、その優しさのためです。
本文においては、特定の他者(困っている人、助けを求めてくる人、頼ってくる人等)に対して、優しく接し続けることのリスクと心の問題について書き進めます。
(また、特定の人に対する呼称として、頼ってくる人と表現を統一します)。
自分が頼ってくる人、助けたい人に対して、親身に接して、優しくあり続ける、そのお気持ち、信念は大変立派だと思います。
しかし、この行為は、自己犠牲と人間関係の深い問題に発展することがあります。
優しさと我慢・自己犠牲の問題と心理
1.常に優しく接し続けることは出来ない
頼ってくる人に対して、常に優しく接し続けることは可能でしょうか?
まず、優しく接し続けるとは何か?
具体的にその行為とは?
・常に悩みを聞き続ける
・困りごとの解決に向けて手助けをする
・お金を貸す
等が考えられます。
さて、ここで、頼ってくる人の心理を考えてみましょう。
頼りを求め、1回助けてもらった。
すると、また、頼りたい、頼ろうという、依存的な心理状態になることもあるでしょう。
頼ってくる人、困っている人、悩んでいる人は、自分の問題解決や、心の状態をよくしたいこと等、自分の抱えている悩み事で精一杯で、頼れると思える人に対しては、救って欲しい気持ちから、いつ何時であれ、頼り、救いを求めてくることもあります。
しかし、頼られる側は、いくら優しく接し続けたいと思っても、自分自身の心の状態、抱えている仕事、家庭の事情等もあり、親身に優しく接し続ける余裕がない時もあるでしょう。
自分が負担を抱えている状態で、他者に優しく接し続けたいと思っても、余裕がなければ、そのお気持ちに沿った行動をすることは難しいのです。
頼ってくる人に対して、優しく接し続けるには、それだけの心や時間の余裕が必要なのです。
したがって、常に頼ってくる人に対して、優しく接し続けることは、現実的ではなく、不可能であると私は認識しています。
2.優しく接し続けることの限界
さて、自分自身に余裕がない時は、頼ってくる人に対して、優しく接し続けたいというお気持ちがあっても、自身の心理、時間において無理があり、その無理を無視して、頼ってくる人に対して、その要望に丁寧に応える優しい行動を取り続けると、やがて、自分自身が心の疲弊と限界を迎えるでしょう。
その時の心理状態は
・もう頼ってこないで欲しいと願う
・関係性を絶ちたいと思う
・これ以上頼られたくない、自分が消えてしまいたい
・頼ってくる人に対する怒りと憎しみ
しかし、この心理状態を招いたのは、頼ってくる人に対して優しく接し続けた結果なのです。
忙しいにも関わらず、頼ってくる人の悩みを聞きづけたり、何らかの仕事を手伝い続けたり、また、多額のお金を貸してしまったこともあるでしょう。
自分自身の優しさより、自分で自分を縛り、締めているのです。
頼ってくる人は、もがき続けている人なので、自分が頼っている人の状態等、客観的に考える余裕はありません。
頼り続けます。
そして、自分が少しでも楽になることを期待されているでしょう。
でも、頼られている人は限界です。
優しく接し続けたいという思いも、「なぜ、自分がこの人のために苦しまなければならないのか」。
自己犠牲への被害者モードに入るかもしれません。
そして、頼ってくる人に対して、意を決っして言われることでしょう。
「これ以上は無理」。
頼ってくる人に対して優しく接し続け、主に心理的に追い込まれ、自分自身が限界を迎えたのです。
本当は、頼ってくる人に対して、少し重荷だなと感じた時に、自分自身の事情を穏やかに話し、自分と頼ってくる人との関係性に境界を引けば良かったのですが。
3.優しさが裏目に出る時
頼ってくる人に対して、優しく接し続けたい。
しかし、その状態を延々と続けることは、心理的にも負荷がかかり、やがては、限界を迎え、その優しさが、自分や頼ってくる人に対する、攻撃心ともなるかもしれません。
しかし、もともと優しい気持ちをお持ちの方ですから、頼ってくる人を攻撃せず、優しく接し続けられなかった、自分を責めてしまい。自分の心の崩壊をみずから招いてしまうかもしれないのです。
優しさが裏目に出たのです。
また、今まで頼ってきた人の心理についても考えましょう。
何があっても優しく接し続けてくれた人から、いきなりの絶縁のような発言を耳にした時、頼っていた人は、見捨てられた、裏切られた、放り出された等の悲しみと、理不尽さを感じ、今まで頼っていた人に対して、怒りと憎しみの感情を抱かれる可能性が高いと思われます。
そして、その心理、感情に基づく行為、行動は、逆恨みによる報復、復讐かもしれません。
これは、今まで頼っていた人の物事に対する解釈の、完全な独りよがりの勘違いなのですが。
しかし、今まで頼り続けた習慣から、いきなり、放り出されたのですから、冷静に今までのことを振り返ることも出来ず、自分が頼っていた人を追い詰めたかもしれない等、考える余裕もなく、ただただ、なぜ、見捨てられたのか。
そのことで頭がいっぱいなのです。
これも、今まで頼られていた人の優しさが裏目に出た結果なのです。
優しく接し続けることには限界があり、限界を超えると、頼られていた人、頼っていた人、双方の心に大打撃が加わるのです。
したがって大切なことは、頼ってくる人に優しく接することは大切なお気持ちですが、頼られることに負荷を感じた時、即時にそのことを頼ってくる人に穏やかに伝え、適切で安全な距離感を取ることが重要なのです。
4.優しく接する人の心の問題
優しい人は、いい人と思われる社会的傾向がありますが、それは、優しく振る舞う人の心の問題の有無によって変わってくるでしょう。
頼ってくる人、困っている人等に、優しく接し続けたい。
なぜ、そこまでそう思われるのでしょうか。
いや、実はそのようなことは全く思っておらず、たんに断ることが出来ない人なのかもしれません。
それ以外にも
・好かれたい
・感謝されたい
・自己価値を上げたい
等の動機に基づく、優しさの表出かもしれません。
いずれにせよ、頼られる人、頼る人。
これは、人間関係であり、優しさをキーワードとして、人間関係の問題が双方に生じたのです。
問題は問題であり、それを相手の責任とせず、自分の考え、行動に問題がなかったか振り返り、同じパターンに二度とはまらないよう、より健全な心、思考、そして人間性を上げるチャンスなのです。
優しさが裏目に出ないよう、健全な優しさとは何か考えてみましょう。
心理カウンセラーである私の答えは。
自分に無理をしない範囲での、他者への優しさ。