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怒らないのか・怒れないのか【怒りを表現できない心理】

この世に怒りを感じない人は滅多におられないと思います。

そして、何に対して怒りを感じるかは人様々です。

また、怒りの感情、怒りに対していかに対処するか、その対処方法は、その人の性格、置かれている立場等により様々でしょう。

さて、今回は他者から受ける、刺激による反応から(自己に対する他者の行動、態度、言葉)生ずる怒りをテーマとして、怒らない人、怒れない人、怒りを表現できない人の心理について書きたいと思います。

目次

怒りの表現の様々な心理と問題

1.怒りに対する抑制が強すぎる育てられ方(怒り方を知らない)

怒りの感情、怒りを表現することに対して強い抑制をお持ち方がおられます。
そこには、いかに怒りを表現してよいか分からない、怒りは我慢するもの、自己価値の低い自分は怒ってはいけない等、怒りに対する様々な思い込みもあることでしょう。

このような場合、当然、「怒らない、怒れない、怒りを表現しない」ことにつながるでしょう。

しかし、どれだけ、怒らない、怒れないと自身が決め込んでいても、他者よりの理不尽な行為等から、怒りの感情がわくこともあるのではないでしょうか。

そして、その怒りを客観的根拠もなく、自分が悪いからだ等、怒りを感じることを自分の責任問題のように思いこまれることもあるでしょう。
しかし、怒りを我慢することは、健全な自己愛の欠如、自分を大切に出来ていない心理を感じます。

そして、これら不健全な怒りの抑制(怒らない、怒れない)は、成育歴、親子関係の影響が強いのではないでしょうか。

子供時、親の力が強すぎますと、子供は健全な自己愛を培えず、自分に対してネガティブな思考、感覚、感情を培い、自己抑圧型の人間へと成長していきます。

本来健全な親子関係、それに続く人間関係から学べる、怒りの健全な表現、対処法等を、学ぶことが出来ず、怒りの感情を感じても、我慢する、怒らない、怒れない、怒りを表現しない、自己抑圧型な人として年を重ねてしまうのです。

また、親子関係の問題から、自身の自己価値は低くなり、価値のない自分は怒ってはいけない等、思い込みが生じ、怒りを抑圧しすぎた結果、怒りの感情が分からない人へと成長する可能性もあります。

怒りとは誰でも感じる感情です。
脳がそのように機能しているのです。

その怒りを表現せず、ため込み過ぎると、社会不適応を招くこともあり、その怒りのエネルギーが自己破壊へと向かい、心の病気等を患ってしまうこともあります。

2.怒りを表現して嫌われることを恐れる(特に親しい間柄 友人)

今の人は過剰に嫌われることに対して敏感です。

もし、自分が親しい人の態度、行動等に不快を感じ、一言注意を発したり、怒ってしまった後、その、親しい人に嫌われることを恐れ、自分が抱く怒りの感情を我慢しよう、怒りを表現しないでおこうと決められることは多いのではないでしょうか。

しかし、親しい仲で、少し怒りを表現したぐらいで、本当に嫌われるのでしょうか?

怒りの感情を親しい人に抱いたということは、親しい人からの心が傷けられるような、発言、行為を受けたということではないでしょうか。
そのため、自分の心が傷ついた。
しかし、怒っている感情を無視して、その親しい人と、今後も関係性を続けられるでしょうか。

このような事態が続けば、嫌われることを恐れるあまり、自分の存在を軽視していると言わざるを得ません。

自分が嫌われることを恐れ、自分が我慢して、怒りを表現できない付き合いには不平等を感じます。

親しい間柄の人であればこそ、自分が今、怒りを感じていることを、穏やかに伝えることも大切ではないでしょうか。

それにより、親しい人も自分がこう思って発言した等、相手の真意を理解することにもつながり、お互いの理解はより深まり、より関係性が深まることも考えられます。

しかし、穏やかに怒りを表現して、親しい人の怒りをかったとしたら・・・。
その人は、あなたの気持ち等をまったく理解する気がない人なのかもしれません。

そのような人と、今後お付き合いをする必要はあるのでしょうか?

3.怒った後の不都合を計算する

組織、集団内において、自分に対して心を傷つける発言、行為があった時、怒ってもいいのだけど、怒らない、怒れない、怒りを表現しないことを選択することもあると思います。

これは、怒ったあとの、周囲からの自分に対する不都合、不利益を考えての結果です。

人間は社会的動物ですので、集団における自己の立ち位置を計算して、怒りの表現の可否を決める時もあるのです。

確かに、組織、集団は一過性の場ではなく、継続する場ですから、怒りを表現した後の、周囲の態度については、よくよく考えた方が賢明でしょう。

怒りを表現して、組織、集団内の人々から嫌われてしまっては、居場所もなくなってしまいます。

「怒らない、怒れない、怒りを表現できない」このことを我慢して受け入れるしかないのかもしれません。

しかし、もし、許されるのであれば、怒りを抱いた方と、個人的に話し合う時間を設け、お互いの主張、思いを聞き、お互いの理解を深め合うことが一番の解決策なのですが。

しかし、一方通行の発信しか出来ず、人の話しを聞けない人が一定数存在することも事実です。
理不尽ですが、怒りを我慢する、怒りの表現を抑制することは、社会生活上、必要な時もあるのです。

4.自分が怒った時の非理性的な行動を恐れる

激しい怒りの感情とともに、怒りを抑えることが出来ず、怒りにのみこまれ、理性的な行動が取れなくなることを恐れ、怒らないことを選択する方もおられるでしょう。

怒りとともに、自分を怒らせた相手を破壊したい衝動に駆られ、失言や暴言を発し続け、相手が何も言えなくなるまで攻撃する、時には暴力を使ってでも、相手を黙らせる。

怒ると脳内に激震が走り、自分を制御することが出来なくなり、理性、自己制御力が吹っ飛んでしまい、結果として相手を傷つけてしまうことを恐れ、怒りを感じても怒らない、怒れない。

怒ることを恐れる。

自分を制御出来ない程、怒りのエネルギーが激しすぎるのです。

これは、生まれ持った気質の影響かもしれません。

怒りのエネルギーが激しいと思われる方は、スポーツ等、出来るだけ体を動かし、エネルギーを燃焼させたり、または、常に人に親切な行為を実践して優しさと穏やかな感覚を学んだり、深い呼吸を意識して、常にリラックスした気持ちで過ごすことがまずは大切と考えます。

怒りの激しい人は、些細なことでも怒りを感じる時があると思いますので、まずは、日頃から穏やかさを大切に、怒りを感じないように過ごすこと、怒りの感情を適度にやり過ごすことが、理性を吹っ飛ばす程の激しい怒りの抑制、怒りを弱めることにつながるのでは考えます。

5.怒りとは関係のない他の人に対して自己の怒りを発散

怒りとは破壊的エネルギーであり、怒りのエネルギーをため込むことは体によくありません。
適度に怒り、怒りからくるストレスを発散することも健全な自己を維持するためには必要です。

しかし、怒りに対する不健全な怒りのストレス発散は感心しません。

例えば、怒り抱く原因をつくった当人ではなく、全く関係のない他の人に対して、その怒りの感情を向けて発散する。
本来、自分が立ち向かう相手ではなく、まったく関係のない人に対して、筋違いの怒りを向ける。

これは、怒れない相手に対する怒りを、自分より弱いと思っている人に対して発散する行為であり、「いじめ」にもつながります。

家庭内において、このような怒りの処理、怒りの表現を行うことは、職場(家庭外)で受けた怒りを、家庭内において発散表現することであり、家族に対する八つ当たりにもつながり、結果として家庭崩壊を招く可能性もあります。

さらに、現代においては、怒りのストレスとまったく関係ない第三者に対して、SNSを通じて誹謗、中傷して、筋違いの怒りを発散、表現する。

このようなことをしても、問題は何も解決されません。
自分の人間性が疑われるだけです。

健全な方法で怒りに対して、向き合いましょう。

怒らないのではなく。
怒れないのではなく。

健全な怒りの表現を学ぶのです。

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