心理カウンセラー紹介
心理カウンセラーのプロフィール
- 名 前:星紀(hoshiki)
- 本 名 : h.shibata
- 誕生日:1965年1月1日
- 家 族:妻
- 出身地:大阪
- 大 事:良識(義)
- 人 生:経験 学習 創造の場
- 理 想:心静かに穏やかに
- 言 葉:人事を尽くして 天命を待つ
心理カウンセラ―写真
心理カウンセラー志望動機
私が心理カウンセラーを志した動機は、アダルトチルドレンをはじめ、私自身が
幼児期より抱え、経験してきた様々な問題を、今後の自分の人生に活かしたいと
強く想ったからです。
過去の辛い経験を、これからの人生の肯定的な意味、力にしたかったのです。
この志については、今も強く想っています。
そして、その経験とは・・・。
- 今までの人生経験
- 心理学・カウンセリング学習得心経験
- 心理カウンセリング臨床経験(多くの人と人生を共有してきました)
そして、心理カウンセラーとして歩み出し、独立をして夢を叶えたあとも、様々な紆余曲折がありました。(この経験には、喜びや達成感も含まれます)
人生で経験することが、必然で起っているのであれば、人生から経験させられた様々なことを、心理カウンセンリグに真摯に活かしたいと想っています。
心理カウンセラーと人生経験
カウンセラーの人生経験は、心理カウンセリングの質に影響します。
カウンセラーは、カウンセラーである前に人です。
人は様々な経験をして、考え方、感性、哲学を培ってきます。
そして、心理カウンセリングとは会話を主として行うものであり、同じ相談内容を複数のカウンセラーに相談しても、会話の方向性、カウンセラーの発する言葉は、まったく違ってくることがあります。
それは、人生経験が違うからです。
私の人生経験については、本ページに記載しています。
また、本ホームページ以外にも多々、記事を記載しておりますので、お時間ありましたら、お読みください。(これらのほとんどは、私の人生経験、思考、論です)
さて、私について1点だけPRさせください。
文字を書き続けるということは、それだけの、経験に基づく、思考力、論理力、言語力、現実認識力が必須となります。
これらは、心理カウンセリングにおいても当然活かされています。
そして、書けば書くほど、疑問意識、問題意識も生じ、また考える。
私は永遠に自問自答の世界に生き、思考力を磨き続ける心理カウンセラーなのです。
カウンセリング実績と資格
カウンセリング歴 | 17年 |
---|---|
資 格資 格 | 産業カウンセラー協会認定 産業カウンセラー |
心理オフィス ステラ 心理カウンセラーのカウンセリングに対する心得
心理カウンセリングの基本は傾聴です。
カウンセリングとは会話、対話の場です。
質問を交えながら、お話しをお伺いいたします。さて、下述において、問題の原因について話し合いますと書かせて頂いておりますが、私のカウンセリング経験上、あまり問題の原因を深く考えない方が良い時も多々あると思います。
考えれば、考える程、深みにはまり、訳が分からなくなるのです。
この経験に基づき、問題の原因、それに続く助言、アドバイス等は、その時々、よくよく考えて、私も発言させて頂きます。ご了承ください。
- ご相談者様の方のお気持ちを大切に、誠意を持ってお話しを伺います。問題を生じさせる根本的な原因について話し合います。
- 問題に対する改善を話し合います。
- 問題改善に向けて、必要に応じて心理カウンセラーとして助言、アドバイスを行います。
- 今後のリスクについても、一緒に考えます。
- カウンセリングに関するご質問に対しては、誠意を持ってお応えいたします。
心理カウンセラーの紹介と経歴
心理オフィス ステラのカウカセラーの紹介を、自己感覚として人生を4期に分けて、紹介いたします。
○体験した生き辛さ(人生を通じて)
アダルトチルドレン、機能不全家族の影響の問題、コミュニケーション力欠如、心理的ひきこもり、他人に興味がない、夢がない、決められない、社会性欠如、自信がない、23歳までの記憶の欠落、強迫性障害、仕事の違和感、適職の悩み、退職、不安神経症よりひきこもり、破産したような感覚。
○学んだこと(23歳以降)
人間関係、コミュニケーション、シンクロニシティ、直感を信じて動くこと、自己受容、自分らしく生きる、無理して人に合わせる必要はない、人生何とかなる、人との縁の大切さ。
心理カウンセラー略歴
第一期
1965年1月
~
1988年3月
誕生~23歳
1965年1月、大阪府豊中市で生まれる。
幼児・子供時より親の養育の問題より、コミュニケーション力の欠落、人間関係を築くことが出来ず、自己抑圧、心理的ひきこもり、記憶がほとんどない等、機能不全家族の問題(アダルトチルドレン)を抱え、青年期では何ひとつ楽しみのない大学時を過ごし、社会不適応者となる。
また、6歳児より強迫性障害を患う。 第二期
1988年4月
~
2002年6月
23歳~37歳
大学卒業後、大手銀行の子会社に親の紹介で就職。
総合職事務管理者として期待される。
しかし、2002年6月、仕事に対する違和感、人生に対する違和感を強く抱き、37歳時、14年間の勤務期間で退職。実はそれ以前にも何回か、プチ転職活動を行っていました。
14年間の会社経験を振り返ると、入社当時はコミュニケーション力欠如、社会性もなく、何をどう振る舞って良いのか分からず、多々辛い思いをしましたが、社会経験を積みながら、仕事を通して成長させて頂いたと思っています。また、自己努力と学習の効果もあり、幼児から抱えた心の問題はこの時点で、ほぼ解決したと思っています。
(強迫性障害は除く)私が社会人として適応出来るよう、このステージは必要だったのでしょう。
そして、今後の夢は、心理カウンセラーとして在ること。 第三期
2002年7月
~
2016年6月
37歳~51歳
2002年12月~2003年3月
島根県、浜田市・松江市で就職支援カウンセラー
キャリアカウンセラーとして勤務。
2003年7月~2004年3月
お総菜屋で、天ぷらとコロッケを揚げるアルバイトに就く。学んだこと、「ゴミ捨ては積極的にすること」
2003年9月~2010年3月
就職支援のカウンセラー(非正規)として平日勤務。
2004年2月~
心理オフィス ステラを大阪市内で立ち上げ、週末のみ心理カウンリング。就職支援カウンセラーと両立。
したがって休日は、ほぼなし。
2010年4月~
心理オフィス ステラのみで生計を建てる。
会社退職時願った、心理カウンセラーとして在ること、夢を叶えた。
2013年
48歳。徐々に調子が悪くなる。
自己存在に違和感を感じはじめる。
精神科医の診断です、不安神経症。
常に不安のみを全身で感じ続け、動けなくなり、半年以上ひきこもる。大阪市内のルームは維持することが出来ず放棄。借金はしていないが、預金も減り、自分の中では破産した感じ。
2014年7月
縁ある人と出会い。大阪府内他市にて心理オフィス ステラ 再開。しかし、その後も、自分ではコントロール出来ないことに振り回され、高ストレスより調子が悪くなることも多々あり、仕事は休みがちになる。 第四期
2016年7月
~
現在
51歳以降
2002年12月~2003年3月
ほぼ、回復した感じではあるが?
カウンセリングのスローガンを、「生き方と在り方のカウンセリング」、コンセプトを、「自分らしく生きる」と決定。
どのような時でも、人と比較することなく、「自分らしく在り」、「自分らしく生きる」ことが大切であると悟った感覚。
実は、この時点では、心身体調共に回復はしておらず、体調は良くなったり・・・。
また、この後も、様々なことが起こりました。
書いていては、きりがありません。
2018年5月
53歳。下垂体性ADH分泌異常症と診断。(指定難病)
症状としては、口内の酸味、口渇が強く、これらを中和するため、数分おきに、冷水を飲んでいます。(基本、冷水しか飲めないのです)
したがって、カウンセリング中も冷水を飲ませて頂きます。話す時間に比例して、口内の酸味、口渇が強くなります。
朝から口の酸味を感じ続けることは、ストレスです。
2018年7月
大阪府隣接県の僻地へ引っ越し。
風土等馴染まず、居場所もなく、部屋に封印される。
閉じこもり状態。自分で、この状況を選択したのでしょうが、行くところもなかった。
どうしようもない、閉塞感より、朝から大量の酒を飲み続ける。生きるために、自分をごまかすため、どうしようもなかった。
2019年6月
54歳。大阪市へ戻る。
今後につきましては、また、都度アップします。